昨夜、夢か幻を見た。いや本当のことなのかも知れない。

大好きなアーティストから「夢のおつげ」があったようなのだ。

初めは、何かメッセージを読んでいたように思えた。

それがローマ字表記になり、読みづらくなっていったと同時にメッセージ内容も、

激しくなっていったのだ。

 

その内容は「ボクが、精神論者」であるということだった。

ボクは優しい男であり、してきたことは間違っていないということだった。

そして最後のほうでは「やうこ」さんの声も聞こえて来た。・・・語っておられたのだ。

そして意識がはっきりしてきて、目が覚めて、何故かアメブロを見た。

 

もう2度と覗くまいと思っていたアメブロを見たのは、

昨夜突然やりだした「note」の編集と、なにか関係があったのだろうか?

・・・フォローしてねそして、覗いたアメブロにはボクの本音が書き綴られていた。

 

アメブロを始めた理由が、自分の考えを墓に持って行きたくなかったからである。

なのに「note」にも、テレビの圧力が怖くて書けなかったことがあるのだ。

それはテレビがボクを攻撃したことである。

ラジオにも攻撃されたが、ちゃんとラジオはフォローしてくれた。

テレビがもし、「そんな優しさを見せたなら、帳消しにしていた」が、それはなかった。

 

ある時期に立て続けに攻撃を受けた。
ひとつは「漫才ブームの仕掛け役」になったテレビ局の番組であり、

もうひとつは「特撮関連に特化した」テレビ局の番組だ。

 

両番組とも、名のある司会者が登場していて、視聴率も高そうだ。

前者では「そんなところに隠れている」というような言葉を言った、

後者の司会は、ボクの大嫌いな婆だったので覚えてないが、似たような言葉だったのだろう。

 

そして「note」の編集をしながら聴いていたラジオでも、気分がよくなる内容を放送していたし、最近届いた「スキ」もアメブロ経由で届いていた。

「やうこ」さんのブログにも本音が書かれていたし、「なんという日だ」と思えた。

 

ボクがテレビの悪口を書くのは、こんな経歴を持つからなのだ。

 

 

ここで終わりにしよう。言い出したらいくらでもテレビの悪口は言えるのだから・・・

ボクが高校生の頃、友達に勧められて好きになったアーティストがいる。

その人の曲は素晴らしかった。心に響いた。

当時も同級生の間では人気があったし、テレビにも良く出ていた。

高校卒業後、ボクはゲームセンターに通うようになって、テレビも観なくなったが、

それから彼がどんな状況で過ごしたか、考えもしなかった。

ある日テレビを観ていたら、彼の曲が紹介された。

それを聴いて、「変わったなあ」と思った。

むかしのように、心に響かなかった。

その後、彼の人気が再燃したらしい。

それからファンになった人は、ボクが聴いていた「むかしの彼の曲」を聴いているのだろうか?

今の彼しか知らない人は、むかしの曲を 聴いてどう思うのだろう。

「むかしのような曲をリリースしてくれ」と言うのだろうか?

生きていくためには、彼のように変わっていかなければ生きていけない人もいる。

むかしと180度違うことをしても、芸能界で生き残ろうとする人もいるくらいだ。

それは「芸能界に限ったことではない」ことくらい書かなくてもわかるだろう。

それが、この世の中での常識であるかもしれない。

「夢を壊すのは止めてくれ」と言いたいが…

 

ボクが、ゲームのところに「本心」からのブログを書くのは、

アクセス数を稼ぐのが目的ではないからだ。

読んでくれるのが、若い人になるなら、ゲームのことはあえて書かずに、

いまのままでも好いと思っている。

知らずに続けているわけではなく、あえてやっているのだから、

そのアクセス数は低くても、ボクの考えに共感してくれるのが、

若い人なら、ボクにとっては都合がいい。

先生になるつもりもないし、資格を取るつもりもない。

それに頭も、よくないから挑戦してもムダだろうから…

「本音でぶつかれば、人に必ず伝わる」というのがボクの持論である。

年齢も国籍も関係ない。人は言葉を使いこなせる唯一の動物なのだから…

だからボクは続けていく、反応がなくてもずっと続けるだろう。

アクセス数が「0」になったこともあるけど、それが目的ではないから、いいのである。

ちょっと変わった奴が、変なことを書いていると思ってください。

それだけで十分だから。

人が傷つくのは「言葉」によるものと、「暴力」によるものがあるけど、

より深く傷つくのは「言葉」であると考える。

暴力による傷は、いつか治るものが多いが多いが、

言葉によるものは、思い出すたびに悲しくなり、一生消えはしない。

身体の傷は形に残るが、その部分が見えなければ思いださないし、

見ても、さほど悲しくは思えないはずだ。

心の傷は違う。…そのときのことが思い出され、辛くなる。

人は伝えたいことを全て言える人は少ない。

「そう言おう」と思っていても、言葉が出てこなくて、違う言葉を使ってしまうこともあり、

全然違うことを言ってしまうことがある。

その瞬間に言葉を選ぶことは、よほど「しっかりした人」でなければ出来ないはずだから…

日本語は難しい。言葉がたくさんあるから…

どの言葉を選べばいいかが、なかなか判断できない。

同じ言葉しか使えない人もいるくらいだ。

それでもやっていける、ただその人の評価は低いのだろうけど…

ボクは友達のお母さんが病に犯されているのが、わかっていて、

友達を励まそうと思ったのに、「楽になるよ」などと言ったことがある。

後になって「なんということを言ってしまったのだ」と反省したが、

頭で考えたことが、そのまま言葉に出なくて、反省することもよくある。

超能力が使えなくても、言葉くらい使いこなしたいものだ。

 

 

 

 

いつまで経っても、「みんなと同じこと」しかできない人が多すぎる。

学生なら、それでいいけど、思春期を過ぎてもそうであってはいけない。

自分というものがないのか?

「仲良しごっこ」で一生を終えるつもりか?

みんなと一緒になって、いじめを続けるつもりではあるまい。

若いときと同じ考えでは、成長もすまい。

ボクの好きな女性が、「最近、ニクラーが多い」と嘆いている。

肉を食べていた欧米人が「肉離れ」しているのに、

日本人は逆に肉ばかりを食べるようになったと…

母にむかし「肉ばかり食べていると怒りやすくなる」と言われた。

喧嘩まではいかなくとも、若い奴がすぐ怒るのは、

本能をおさえられず、肉ばかり食べているからではないのか?

「日本人が肉をよく食べているんだからいいや」と考えるのは間違っている。

世界の人々が「肉離れ」の傾向にあるのなら、

「何故なのか」と、考えるようにならねばいけないと思う。

学生なら、みんなと同じことをしてれば好いけど、

社会人になってまで、そう考えなくても好いだろう。

「個性がなさ過ぎる」と思うし、それはメディアに影響されすぎているのではないか?

身体に悪いかもしれないし。

たしかに、みんなと同じことをしていれば、共感もしやすい。

でも、そこで「成長は止まる」だろう。進化するわけはない。

「今のままでいい」と思うのなら、「それでよしとする」なら、ボクの意見は無視してください。

「少しでも自分らしく生きていきたい」と思うなら考えた方が好い。

障害を持って生まれたからか、ボクは「どう努力しても」みんなと同じに離れない。

醜い「右手の4本の指」は見た人に、悪い印象を与え続けるだろう。、

だからそう考えてしまうのかもしれない。

ただ、「うらやましく思っている」だけかもしれない。

だから、みんなと一緒でないから、こんなことを書くのだろう。

でも、少し考え方を変えてみるのも、必要かもね…。

 

 

 

 

 

 

ボクはブログを書いているけど、実力は持ち合わせていません。

人と違う考えをしている事と、企画力(?)で勝負をしているつもりです。

昔からちょっと代わったところがある子供でした。

テレビドラマを観るときも、話が終わっても、エンディング曲を最後まで聴いていました。

そして、そのときに画面に映し出される文字も何故か覚えようとしてました。

その結果、覚えたことで案外、人の知らないこともあります。

「ウルトラセブン」では「キヌタラボラトリー」

何かの時代劇では「あいうえお・きかく」

「御家人・斬九郎」では「監督・渡辺謙」(最終回で…)

「仮面ライダー」では「ナレーション・納谷悟朗」

「天才バカボン」では「バカボンのママの声・増山江威子」

変な奴と思われるでしょうが、ボクの正体です。

そのなかでも「あいうえお・きかく」には、何かを感じました。

そして、いつの間にか「企画」に興味を持ちました。

でも、何も学ぼうとはせず、今に至ります。

小学生のときもみんなが、「中学に行く準備をするから」と、

「神社に遊びに来なくなっても」一人で神社に行ってましたし…

高校のときも昼休みに、一人でフリースローの練習をしてたし…

「ドラクエ」でも「竜王」の手下になるし。

変人なんですかね。

それが楽しかったから、まっいいか。

いまは、人があまり使っていない電子タバコを使っていますよ。

 

 

ボクは十分の気に入らないものは、人がいくら薦めても認めない傾向にあります。

何回言われても、どう説明されても、認めないものは認めません。

あまりしつこく言われると、

頭の中で「ファンタジーゾーン」の最終面の音楽が流れ出します。

すみません、マイナーなことを持ち出して、でも、これがこのブログを書くきっかけでした。

(調べないように、ちっとも面白くないから…)

大体、人が「面白い」というと「どこが」と思い、欠点を探し出す性格ゆえ、

ボクと話すと「気分が悪くなる人続出」でしょう。

その上、自分が「面白い」と思ったことは、執拗に言いまくるし、

これではボクと話をしたがる人もいないはずですよね。

最近は少しは「わかったふり」をして話をあわせることもするけど、

基本的には認めないし、頭では「なにそれ?」と思っています。

それでも顔には出ないようにしているから(出てるのか?)、

人には悟られてはいないようですが…(実は悟られてるのか?)

でもみんなそういうところは持ち合わせているのではないでしょうか?

友達に聞いたけど、奥さんが帰ってくると、

その日に「人が言ったことに対しての反論」を言いまくるらしいです。

女性はそんなものなんですか?

友達の奥さんだけがそうではないとも思えるし…

そうだとしたら女性は怖いですね。

化粧で顔を変えて、心ではそう思ってないこともわかったフリをするのですから…

「純朴なボクなど一ひねり」といったとこでしょうか?

だから、ボクの性格もすぐ読まれて、恋愛の対象にもされないのでしょうか?

それならボクはどうしたらよいのでしょう?

自分で考えろと言われそうですが。

そのうち、騙されて、お金を騙し取られて、よしですか?

人生、お先真っ暗じゃないですか~。

いいもん、一生独身で…

ここでまた「ファンタジーゾーン」の最終面の音楽が流れてきました。

ボクの話も終わりです。

 

 

 

 

 

 

以前、ファミコンのゲームについて書いたときに、

「ウィザードリイ」が最高と書いたが、調べてみたら、「ウィザードリイ」も

「ダンジョン&ドラゴンズ」というゲームを基に作られたのであると判明した。

その「ダンジョン&ドラゴンズ」も違うゲームをもとに作られていると知り、

そんなむかしに、「ドラクエ」や「ファイナル」の原型となるものが、

開発されていたことに驚いた、

戦争に言った父が、ロシアの捕虜になり、シベリアで暮らしていたときに、

機械が壊れたのを修理してロシア人に食事をおごってもらったことがあるそうだ。

父が機械に詳しかったには、祖父が機械商をやっていたからだが、

機械を見て父は、「ロシアのものは、アメリカのものに比べて劣っていると思った」と言った。

父いわく、アメリカの機械は壊れたときにそれを補う装置がついている(?)らしいが、

ロシアのものには、それがなかったと言っていた。

今はどうか知らないが、当時はそうだったらしい。

アメリカは何かを開発するときに、色んなことを想定して作るらしい。

「「ウィザードリイ」の原型を作った人も、考えに考えて、作ったのだろう。

だから、後継機も人気が出て、さらにその後継機まで発売され、人気もあったのだろう。

何もゲームに限ったことではなく、映画においても、続編が作られるということは。

第1作の設定がしっかり考えられているから、続編も作られ人気が出るのだと思う。

(日本のアニメの「機動戦士ガンダム」のように…)

日本は、何かが発明されたのをよい点を生かして作る技術は得意だが、

原型を生み出す能力には劣っていると、むかし聞いた。

いまの事には疎いから、現在の日本の力についてはよく知らぬが…

人種によっても能力差はあるかもしれない。

でも、優秀な人材が出てきているいまの日本なら、

そのうち世界に通じるちからを持つ人が出てくる可能性もあるだろう。

いやもう出てきているのかもしれない、ボクが知らないだけなのかもしれない。

もしかして、むかしの偉人の中にはそういう人もいるのか?

歴史にも疎いボクはこんなことを書くべきではないのかな。

できれば、ボクの知り合いにそういう人がいれば、「鼻高々」なのだけど…

 

 

 

 

 

お金がなくなって、本物のパチスロを打つことが困難になった。

パソコンでもパチスロが打てることを知り、飛びついた。

デキは悪くなかった。

それどころか本物では、なかなか見られないプレミア演出がよく見られる。

お金にはならないが十分楽しいし、記録も残る。

お金は使わず、そのパチスロの概要もわかるのもいい。

パチンコ屋でやる前に、基礎知識を学ぶのにうってつけだ。

古いものから新しいものまであるから、むかしからのファンにも、

最近始めた人にも、「楽しめるつくり」になっていると思う。

最高設定にすることも可能だし、当たっているところから始められるようにもなっている。

もう、「至れり尽くせり」だ。

でも、これがパチスロだと思ってパチンコ屋に行ってやったら、

「あれ、こんなものなの?」と思う人もいるだろう。

本物のように、「出るときは誰にでも出せる」ようにもなっている代わりに、

出ないときは、何をやっても出ないのがパチスロ。

ただパチンコと違って、「天井」が設けられていることが多いのがパチスロである。

(何回か回転させれば、必ず当たるというのを「天井」に到達したと言う。)

オート機能も付いていて、機種によっては、オートを使うと「中押し」をやるものあり、

その機種をパチスロで実際にやるときには真似してやれば、好結果に繋がることもある。

でも、実際のパチスロは疲れるけど、パソコンのものはそんなに疲れないから、

パチンコ屋へ行ってやったら、疲れたと思うだろう。

パチンコ屋では出てる人に、嫌がらせを仕掛ける人もいる。

でも、店で自分が一番出せば、ヒーローになれるし、その上かなり儲かる。

タバコの臭いと、機械音さえ気にならなければ、得た知識で勝負できるだろう。

あ、台を叩く奴もいることも気をつけろ。

案外気分を害されるからな…

そして、気をつけたほうがいいのが、大勝ちしたあとの帰り道だ。

何があっても、当方では責任は取れないぞ。

その覚悟があるのなら、勝負しに行け。

思わぬ興奮と、軍資金をダブルアップする可能性に出会えるかもしれない。

ところで、ボクは何でこんなことを書いているんだ。

パチンコ屋さんから依頼されたわけでも、お金をもらったわけでもないのに…

「パチスロライター」にでもなれという髪の啓示なのか…?

一応言っておくが、やってもいい年齢になってから、

自分が使っても後が困らない金額だけで勝負しよう。

そして覚えておいた方がいいのが、「必ず儲かると思うのは間違いだ」ということ。

パチンコ屋さんは慈善事業ではないからな。

以上…

 

 

 

 

 

 

 

いま自分の精神状態は、落ち着いているようだ。

以前のように、時計を見ても、焦ることはなくなった。

考え方一つというのが、自分の内面で、だんだん理解されてきたようだ。

なにかに惑わされていれば、「いついかなる時」をも、冷静でいられなくなるはず。

今は、自分に妙な自信があり、それゆえ余計な考えをせずにいられるから、

何事に対しても冷静でいられるのだろう。

それ故「間違った方向にすすむ」ことも少なく、結果として、

間違いなく、物事が良い方へと向かっているようだ。

むかしから、できるだけ冷静でいることを心がけてきた。

なかなかそうは、なれなかった。

邪魔する輩もいた。

それが多くいた時もあったし、少ないときもあったが、

少ないからといって、必ずしも冷静になれは、しなかった。

基本的に「まわりに敵しかいないと思っていた」ことから開放されたことが、

冷静になれた1番の理由だと思われる。

ボクのブログに再三、登場する、「ボクを変えてくれた女性」の言葉も、

冷静になれる大きなきっかけであったことはもう言うまでもないが…

「想ってるだけじゃ伝わんない…」と言う歌詞が彼女の歌の中にある。

それまで、「心を読まれている」と思っていたボクの、

「目を覚まさせてくれた」のがその言葉であるが、

そういった類の言葉は「むかしから言われ続けていた」らしい。

その言葉も彼女が言わなくては、

心に響かないほど他人を信じられなくなっていた自分が情けなくも思うが…

ボクの心を開くきっかけを作った彼女には、

十分立ち直ったと自分が自信を持てた暁には、御礼をするつもりである。

どんな形かは考えていないが、自分が納得する形でお礼がしたい。

彼女以外にも、ボクに自信を与えてくれた女性が数人いるから、

その女性達にも「わずかではある」が、お礼はするつもりだ。

「最低限のお返しはしないと、いけない」でしょう。

冷静なときに時計を見ても「ああ時計だ」くらいしか感じないボクが、

不安なときは時計を見ても「まだこんな少ししか針が動かないか?」と思うのも、

何処かでおびえていたからだろう。

でも、じっくりと時計を見ていたから、「状態により変わって見えたこと」に気付いたのであろう。

だから「どんなときにでも冷静でいよう」と心がけることができたわけだから、

時計を見て、冷静になるため努力してきたのは好い方向に向かったと考えられる。

何をしていても、同じように過ぎて行く時間だが、

そのときの精神状態により「早くすすむ」「すすむのが遅い」などと、感じ方はは変わる。

それに気付いたからこそ、「常に一定の精神状態を維持できれば」と考えた。

自分の考えは正しかったようだ。

誰もがわかっていても、それを変えようとまでしないのを、

ボクは「自分の思うとおりにしたい」という「思いが強いがうえ」にそうしようとした。

そうしないといつまでも自分を変えられないとも思っていた。

自分で分析したことを行動に移した結果をが「功を奏した」のだ。

「自分勝手も極めればよい方向に向かう」のだろうか?「結果オーライ」で好いじゃないか。

人がすることを見て、簡単に批判することは誰にでもできる。

が、ボクは「なぜそうするのか」?と疑問に思い、答えを考えたりした。

それも他人の考えを理解することに繋がったし、それでよかった。

ボクは独自の考え方をしているらしいが、ということは「ボクのすること」を、

全否定している人も「少なからず」いるのであろう。

でもその人も「何であいつはあんなことをしている?」と考えたとき、

自分を変える第1歩を踏み出せるかもしれない。

自分と違うことをしてる人を理解しようとしたとき、成長するかもしれないから…

あくまでもこれも「ボク独自の理論でしかないが…」。

頭から否定しようとする人に、「考え方を変えてください」とは言わない。

人に影響を与える言葉は言いたくないと思っている。

「よいほうに向かうこと」になっても、その逆でも、ボクの言葉で人に変化はさせたくない。

ただ普通の人のフリをして、実は頭でいろいろと考えていたい、知られずにね。

人目につきたくないけど、どうやら「嫌でも目に付いてしまう」ようだから、

言葉だけでも、「影響を与える言葉は吐かない」ようにしなくてはいけないだろう。

でなくては目立ちすぎるからね、ボクは。これ以上目立つのはね…。

忍者は陰に隠れて行動したらしいが、ボクの苗字もむかしの忍者と同じだ。

末裔ではなかろうが、やはり表に出ることは嫌いである。

どれだけ有名になっても「テレビとやら」に出る気はない、いくら積まれてもだ。

身体障害者でもあり、そこも克服できていないから「なおさら」だ。

そんな奴がいても好いと思いますよ、一人ぐらいはね。

長くなったけど、ここいらで終わりにします。

では…