いま自分の精神状態は、落ち着いているようだ。
以前のように、時計を見ても、焦ることはなくなった。
考え方一つというのが、自分の内面で、だんだん理解されてきたようだ。
なにかに惑わされていれば、「いついかなる時」をも、冷静でいられなくなるはず。
今は、自分に妙な自信があり、それゆえ余計な考えをせずにいられるから、
何事に対しても冷静でいられるのだろう。
それ故「間違った方向にすすむ」ことも少なく、結果として、
間違いなく、物事が良い方へと向かっているようだ。
むかしから、できるだけ冷静でいることを心がけてきた。
なかなかそうは、なれなかった。
邪魔する輩もいた。
それが多くいた時もあったし、少ないときもあったが、
少ないからといって、必ずしも冷静になれは、しなかった。
基本的に「まわりに敵しかいないと思っていた」ことから開放されたことが、
冷静になれた1番の理由だと思われる。
ボクのブログに再三、登場する、「ボクを変えてくれた女性」の言葉も、
冷静になれる大きなきっかけであったことはもう言うまでもないが…
「想ってるだけじゃ伝わんない…」と言う歌詞が彼女の歌の中にある。
それまで、「心を読まれている」と思っていたボクの、
「目を覚まさせてくれた」のがその言葉であるが、
そういった類の言葉は「むかしから言われ続けていた」らしい。
その言葉も彼女が言わなくては、
心に響かないほど他人を信じられなくなっていた自分が情けなくも思うが…
ボクの心を開くきっかけを作った彼女には、
十分立ち直ったと自分が自信を持てた暁には、御礼をするつもりである。
どんな形かは考えていないが、自分が納得する形でお礼がしたい。
彼女以外にも、ボクに自信を与えてくれた女性が数人いるから、
その女性達にも「わずかではある」が、お礼はするつもりだ。
「最低限のお返しはしないと、いけない」でしょう。
冷静なときに時計を見ても「ああ時計だ」くらいしか感じないボクが、
不安なときは時計を見ても「まだこんな少ししか針が動かないか?」と思うのも、
何処かでおびえていたからだろう。
でも、じっくりと時計を見ていたから、「状態により変わって見えたこと」に気付いたのであろう。
だから「どんなときにでも冷静でいよう」と心がけることができたわけだから、
時計を見て、冷静になるため努力してきたのは好い方向に向かったと考えられる。
何をしていても、同じように過ぎて行く時間だが、
そのときの精神状態により「早くすすむ」「すすむのが遅い」などと、感じ方はは変わる。
それに気付いたからこそ、「常に一定の精神状態を維持できれば」と考えた。
自分の考えは正しかったようだ。
誰もがわかっていても、それを変えようとまでしないのを、
ボクは「自分の思うとおりにしたい」という「思いが強いがうえ」にそうしようとした。
そうしないといつまでも自分を変えられないとも思っていた。
自分で分析したことを行動に移した結果をが「功を奏した」のだ。
「自分勝手も極めればよい方向に向かう」のだろうか?「結果オーライ」で好いじゃないか。
人がすることを見て、簡単に批判することは誰にでもできる。
が、ボクは「なぜそうするのか」?と疑問に思い、答えを考えたりした。
それも他人の考えを理解することに繋がったし、それでよかった。
ボクは独自の考え方をしているらしいが、ということは「ボクのすること」を、
全否定している人も「少なからず」いるのであろう。
でもその人も「何であいつはあんなことをしている?」と考えたとき、
自分を変える第1歩を踏み出せるかもしれない。
自分と違うことをしてる人を理解しようとしたとき、成長するかもしれないから…
あくまでもこれも「ボク独自の理論でしかないが…」。
頭から否定しようとする人に、「考え方を変えてください」とは言わない。
人に影響を与える言葉は言いたくないと思っている。
「よいほうに向かうこと」になっても、その逆でも、ボクの言葉で人に変化はさせたくない。
ただ普通の人のフリをして、実は頭でいろいろと考えていたい、知られずにね。
人目につきたくないけど、どうやら「嫌でも目に付いてしまう」ようだから、
言葉だけでも、「影響を与える言葉は吐かない」ようにしなくてはいけないだろう。
でなくては目立ちすぎるからね、ボクは。これ以上目立つのはね…。
忍者は陰に隠れて行動したらしいが、ボクの苗字もむかしの忍者と同じだ。
末裔ではなかろうが、やはり表に出ることは嫌いである。
どれだけ有名になっても「テレビとやら」に出る気はない、いくら積まれてもだ。
身体障害者でもあり、そこも克服できていないから「なおさら」だ。
そんな奴がいても好いと思いますよ、一人ぐらいはね。
長くなったけど、ここいらで終わりにします。
では…