私が小2まで 父は5年間程 無職でした
いわゆる 髪結いの亭主 というやつ。
母より7つ年下の父は
身長178センチ 体重62キロ
当時の男性にしたら 背が高く痩せていて
そこそこな見栄えだったと母。
父は 道南地方(函館方面)出身
本当の田舎で バスも午前中二本、午後からも三本しか来ないような 田舎の村で 遊び場は、海と山
潜るのも 山歩きも 苦にならない
そんな子供時代だったといいます
そんな父は 8人きょうだい
兄、姉、父、弟、妹、弟、弟、弟
父が中学を卒業したとき 末の弟は3歳で
そのため父は 口減らしのために
母方の祖父が暮らす 島松 という札幌から少し南下した これも小さな村に来ました
昭和26年の事です
このとき 母方の祖父は 劇場を経営していました
舞台があり、スクリーンもあって
演劇も、映画も見られる、というものでした
祖父は元々 役者さんでした
ニシンで栄えた 道南 江差
そこにやってきた 大衆演劇の二枚目役者
演劇を見に来た祖母は 祖父にすっかり魅了され 家出同然で 祖父の劇団について回り
やがて 札幌で 女の子を出産
それが父の母でした
でも戦争が二人を引き離し 戦地へ行った祖父。
江差の実家に3人の娘を連れて戻った祖母
そこで祖母は 別の男性に嫁がされました
戦地から戻ってきた祖父は もう二度と娘に会わせないと言われ、
仕方なく 札幌へ。
それからどうやって劇場を経営することになったのかは 私にはわかりません
でも 娘たちとは会っていたようで
長女が嫁ぎ その息子を預かってくれたのだから 孫は可愛かったのでしょうね
そこで父は 映写技師の資格も取り、
映画の看板書きもしていました
配給されたフィルムを取りにバイクの免許も取って 雨の日も雪の日もバイクでフィルムを運んだそうです
でも勉強もしていた父。
高校は出なきゃだめだ と 昼間の定時制 と言われるところへ入学して
仕事と勉強 両方頑張っていたそうです(これは母に聞きました)
でも高校を出た19歳のある日
父は突如 自衛隊に入隊
昭和28年、島松に美容院を開業していた母は、
父の祖父と母の父親が友達だったこともあり、(興業仲間?)
父は母のところへよく遊びに来ていたのだと。そして自衛官の制服姿で
お店に入ってきた父を 驚いて見たそうです
父は まだ学生だった弟たちのために
自衛隊に入隊して そのお給料をほとんど仕送りしていたそうです
でも入隊して四年目
祖父が 紋付袴姿で自衛隊に来て
孫を返してくれ と土下座したそう。
そして父は除隊しました(あのまんまいてくれたらねぇ、と母)
それから祖父の映画館に替えたところを手伝い、看板書き、映写技師として
働いてた父
そして25歳になったとき母と結婚
母、32歳。
結婚してから 父は札幌にある会社に働きに行きましたが
駅から降りてきた父の顔を見ると
ものすごく暗い顔で帰ってきていた、と母が話してました
嫌な会社だったそう。
私が生まれ、弟が生まれ
映画館をやっていた祖父がなくなり
母がお店を 別の街でやりたい!となり
引っ越すことに。
そしてこの街に母が美容室をオープンさせた昭和39年
それから父の無職生活が始まりました
でも母のお店はものすごく忙しく
月に一度は、婚礼の支度もあって
父は車の免許を取りに行き、車を購入
花嫁の送迎をはじめました
美容室で婚礼衣装に身を包んだ花嫁を披露宴会場へお連れする、という事も父の仕事でした
思えば あの頃がとても良い頃で
母のお店も繁盛していて 毎日が充実していたのかもしれません…………
が
母は そんな生活の中、きっと働かない父を蔑んだのでしょう
お酒を飲んでの父の暴力が始まりました
私が小2のある日 外にある塀の上に友達と座って話をしてたとき
友達に お父さんのお仕事なぁに?と聞かれた私は
パパ? なんにもお仕事してないの!
と言いました(覚えてます)
それを聞いていた母は 父に
娘がお友達に 私のパパはお仕事してないの!って言われてあなたは恥ずかしくないの? と言ったそうです
そして お店のお客様だったお医者様の奥様の紹介で
とある会社へ入社させてもらいました
そこは とある大手の企業の創業者が
ポケットマネーで作った 樺材を使用して作る家具の会社でした
このライテングビューローは、私の使っていたのと同じものです
定年まで この会社で父は 課長まで頑張りました。
役職をもらうには 東大と学習院大学を出てる人じゃないとなれなかったのに 定時制高校しか出ていなかった父がです。
そして 定年から2年で
父は帰らぬ人になりました
葬儀には 信じられないくらいの人で会場に入りきれない程でした
家族にはどうであれ 私は父の社会的姿勢を尊敬しています
見返りを求めず
人のために何でもした人でした
部下に子供が生まれたらお祝い、学校に上がればお祝い
私が結婚したとき その部下の人たちがお祝いを持ってこない!と母が文句を言ったとき
父が激怒しました
お前は人に何かをするときにしてもらいたくてやってるのか! とね。
見返りを求めるな! と言ってました
だから 父が亡くなったとき
あんなにたくさんの人たちが 死を悼んでくれたのだと思いました
父を
見習わなきゃな。
旦那は 私に お前は親父さんに似てるな と言うけど 母の方も入ってるので 邪な気持ちもないといえば嘘になるので……笑
