人生100年時代 なんて言うけれど
100歳まで生きてる人、私の親戚でいたことがない
最高に長生きして今 母の妹の90歳だ
叔母は17歳で結核になり、
それ以来 体が弱くて お嫁には いったけど子供も出来なかった
でも 長生きしてくれててありがたい😌🙏
父の妹は 今84歳……まだ浜に出て仕事をしてるそうだ
でも父や叔父たちは70歳以上まで生きられなかった。一人だけ83歳で今年亡くなった。
6人もいたのにね。
平成12年11月23日……
友人の娘さんは小1
新たにオープンしたスーパーに親子で連れ立ってでかけた
そこのスーパーで
パパ…寒い… というので 家に帰り
熱を計ったら 39度出ていて
慌てて救急病院へ連れて行った
でも 病院で様子がおかしくなり
意識も無くなった
ここじゃあ手に負えません!札幌の大きい病院へ!とまた救急車に乗り
札幌の病院へ
が
娘さんは 帰らぬ人になってしまった
未熟児で生まれて 4歳まで吸入器を手放せなかった
幼稚園に通えるようになり、体が大きくなってきて ようやく肺の機能が追いついてきた
学校に上がる頃には 痩せていたけど
普通に運動会にも、学芸会にも参加して元気だったのに
風邪のウイルスが肺を侵して
娘さんは
たった6年間の生涯を閉じた
訃報を聞いて
旦那と二人 駆けつけたときには
家に帰ってきて着替えた寝間着のままの姿でお布団に 眠るように 安置されていた
その横では 友人の奥さんが 憔悴しきって娘さんの遺体の横に背を向けて
倒れ込んでいた
たったひとりの娘さん
高齢出産で 妊娠中毒症になり、7ヶ月で帝王切開でできた子だ
肝炎も見つかり もう二度と子供さんはできません と医師から言われた身体になり、生まれた娘さんを大切に大切に育ててきた……
その娘さんが 亡くなった
友人のお母さんが 遺体のそばで
孫の頭を撫でながら
変わってやりたい 変わってやりたい
と嗚咽していた
寝かされた布団の上には
入学式に着ていったワンピースがかけられていて
湯灌のときにこれを着せてやるんだ……
と友人が言った
次から次へと弔問の方が来たので
長居もせずに帰ってきたけど
私は胸の奥が苦しくて つらすぎて
友人は 泣いていませんでした
淡々と なぜこうなったかを
話してくれてました
翌日 お通夜へ行ったけど
奥さんは 倒れてしまい 親族の方に連れられ 退席
友人ひとりで 挨拶に立ちましたが
その時は 悲しみをこらえて 涙をこらえてる姿が
本当に辛くて あんなに悲しいお通夜に出たのは初めてでした
子供は 死んではならない存在なんですよね…………
なのに 6年間の思い出を遺して
いなくなってしまった
生きていたら
27歳ほどでしょうか
これまで生きていて 13歳で、16歳で、18歳で、36歳で亡くなった同級生たちはいましたが
お産祝を上げ、入園、入学祝いを上げた子が亡くなるなんてことは
この子が初めてでした
今でも この日には 思い出してしまいます………………