親の死に目 | こーしのひそひそ話

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乳癌に罹患 心臓弁膜症 と病気持ちですが 心までは病気持ちではありません!明るく毎日生きてくための吐き出し!北海道で生まれ育った還暦ばーさんのぐだぐだブログっす



子供の頃、親が死んだらどうしようと思ったことがあった


パパもママも死んじゃったらどうしようと思って泣いてた幼稚園の頃



でもあれから55年経ち



その通り




両親は 死んでしまった……




私の年齢でも まだ両親が健在な方はたくさんいらっしゃるだろう



婿のお父様は、72歳だけど


お母様が95歳で健在だ




旦那も まだ父親が健在だし




自分が何歳まで生きるのかなんて誰もわからない


親も何歳まで生きててくれるのかそれもわからない





母は、



二十歳で母親を亡くした



肺結核で 母たちに看取られ亡くなった




けど 父親は 看取れなかった



病院から連絡が来たとき すでに亡くなったあとだったから





父は 両親とも 看取れなかった



父の父親は 礼文島で60歳で事故死



トラックの荷台に乗り、積んだ荷物を支えていて



トラックがカーブで荷崩れを起こし



崖下へ転落



荷台の下敷きになって即死だと聞いた






母親の方は83歳で 七飯の病院で呼吸不全で亡くなった




伯母がひとりで看取った





私は 36歳のときに父を看取れました


慢性骨髄性白血病でした


死因は 多臓器不全……


62歳でした



母は、肺腺癌 死因は癌による呼吸不全……


88歳でした


父のときは家族全員で看取ることができました

娘たちも一緒に 亡くなっていく祖父の姿を見ていました



長女は小5 呆然自失とし、


次女は小3 泣きじゃくっていました


三女は5歳になる前の日で、寝ていました



母は、私と義妹二人で深夜1時過ぎ


呼吸が少なくなり やがて 次の呼吸が止まり



穏やかに苦しまずに

眠ったまま 旅立ちました




どんなにあらがっても


どんなに嫌だと言っても



親は 死ぬんだ 





私も いつかは 両親の元へ行く日がくるでしょう




でも できることなら


次に旦那を見送ってからにしたい




旦那が言う



俺より先に死ぬな 



とね。




そのつもりでいたいけど



旦那の家系は長生きで



私の家系は早死だから



私は父親に似てるし、こればっかりはなんとも言えないよ



と言うと 




今の俺の時に親父さん 白血病になったんだよな……もっと生きていたかったろうな……



と、父の無念さを 


この年齢になったからか、わかるようになりました





病気がわかってから



父はひとりでよく釣りに出かけてました




海を見て 竿を下げながら




父は何を思い  何を考えていたんだろう





おそらく 自分の命の期限と向き合っていたんだろうな


と思い  落ち込むこともなく


私達には 平然と見せていながら




海を見ながら 心に整理をつけてたのかと思うと


今でも 泣けてきます




私は父に似たのか 乳癌になったとき



似たような行動をとってました




心の整理は 誰かにやってもらえるものじゃない



自分に向き合って 自分でつけないとならないもの……



13年前 私は1度 死にました





そう思い 今の人生は



おまけだと思って生きています





これまで やんちゃばかりやってきて



私の言葉で傷ついた人もたくさんいたと思う


見た目だけで 人様は避けていくような


目を合わせないようにされていた若い頃


この映画『下妻物語』で土屋アンナさんが演じた役を見た旦那が

お前が出てる!と言いました。私の若い時、ほんと、こんなふうでした
髪もメイクもね……



チンピラねーちゃん


そう言われても 平気だったあの頃


その罰が当たったのだろうな


やったことは必ず我が身に返ってくるのだ


人を傷つけたら そのお返しは こうして形を変えて


我が身に苦しみとして戻ってくるのだ。



親の死も 己の病も すべて受け入れ


今はひたすら



安寧を祈るのみだ





できるなら 悟り 神仏に祈り


余生を過ごしたいが



俗世にまみれたこの 欲の塊の私は



まだまだ そこまでには至らないな




こんな私でも



両親の死に水を取らせてもらえたことに


深く感謝しています🙏