父が定年まで働いた会社は
この街に初めての工業団地が出来たときに進出してきた
家具を作る会社でした
それがこちらです
1964年創業の北海道民芸家具は、日本屈指の名門家具ブランドです。 初代の大原総一郎氏の父・孫三郎はクラレの創業者。 美術収集家として活躍し、日本で最初となる近代西洋美術を展示する大原美術館を設立。 その後、柳宗悦や濱田庄司と交流を深めながら父子で民芸運動の支援者となり、日本民藝館の設立に協力します
父が勤務してから、数年後、本社から社長?会長?どちらなのか忘れましたが妻と共に
北海道に来て
会社を視察したそう
そして父は運転手をかって出て
積丹や、えりもなど
当時から有名だったところへ案内
どこかの岬に行ったとき、
どうしても海を見てほしくて
父が、足の悪かった奥さんを背負い
海を見てもらったという
父のその行為に 感銘した社長から
お礼にと 絵が贈られて来たとか。
それですっかり父は 会社の下僕となり、笑
私が16歳のときに新築した家は 全て北海道民芸家具で、揃えました
民芸雑誌にも取材され、写真が載りました。
食器棚、サイドボード、隅戸棚、座卓、ソファ、マガジンラック、ビューロー、衝立、飾り棚 戸棚、姿見、食卓テーブル……
他の家具など、全くありません。
おそらく 総額にしたら5~600万ぐらいの家具です。
中古でも 我が家にある電話台が5万で売りに出ていました(正規の金額は、おそらく新品12〜3万)

我が家のは 娘が、針か何かで落書きしてあるのでこんなにきれいじゃありません🙄
私は あまり好きじゃない家具でしたが父はもう 愛してやまない家具だったようで結婚したときにこれと鏡台をもたされました。(他の家具を入れたら床が抜けるからダメだと言われました)
父は この会社で営業部の課長にまでなりました
この会社の親会社であるK株式会社は、東大か、学習院大学を出ていないと役職にはつけないのに
父はなぜか高卒で、課長という役職になれました
しかも東京へ栄転というオマケ付で
が、
東京に行きたくなかった父は
東京営業部北海道担当課長とかいう、これみよがしな役職で、こちらに居続けました
55歳定年のはずが 3年延長してほしいと言われ
58歳まで働きました
そして59歳で 白血病になり、満61歳になった6月 あの世へと逝ってしまいました
実家の家具は父の想い、父の形見
まるで 北海道民芸家具の展示場のようです