豊臣秀吉の時代
秀吉は、献上品の 朝鮮の焼き物や刀をとても気に入り、手に入れたいと思い
朝鮮の出兵をしたとか
それがほんとかどうかは、知らないけど
その時、加藤清正らに 連れられて
朝鮮から日本へ
三万人の陶工や、刀鍛冶とその家族が渡ってきたと言われています
そしてその人たちが日本に馴染み
日本の名前を名乗り、日本人として子孫を残している
アン(安)さんなら、安田・安本など
パク(朴)さんなら、木下・木村など
キム(金)さんなら、金田・金本など
この例は、ほんの一部で 他の名字もたくさんあると言います。
あと、その時代、朝鮮の身分制度により、名前しかない人もいて
その人たちは、好きな名前を名乗ったという。
日本人と結婚して その妻の名字を名乗ったりして
日本人として生きていたのです
今の時代より おそらく朝鮮は、もっと近い国であったのだと思います。
そして明治に入り、
浅はかな事に イギリスなどの真似をしたのか 朝鮮を植民地などという
愚かな政策を取り、
日本へとたくさんの朝鮮の人たちが渡ってきた
その頃もまだ身分制度に縛られていた朝鮮から
身分制度の廃止された日本へ 自由を求めてやって来た人たちもたくさんいたようで、
いわゆる ヌヒと呼ばれてる人たちは、密航してでも
日本へ渡ってきたとテレビで言ってたのを記憶しています
大阪のとある都市に暮らしてるおばあさんが
その体験談を話していました
おばあさんは、日本で生まれていますが、
お父さんの両親が 朝鮮から渡ってきたのだと
釜山より、南の 小さな漁村で暮らしていた祖父母は、日本へ行けば
身分の差もなく働けばその分、ちゃんと暮らせると聞いて
すぐ、日本へ行こう!と決めて家財道具をすべて売り払い日本へ渡ってきたのだと話していました
着いたのは、長崎あたり
それから仕事をしながら転居を繰り返し
大阪のとある都市に落ち着いて暮らしていたのだと言います
おばあさんのお父さんは、三人の兄弟がいて
お父さんは、長男で 必死に働いて両親と暮らし、看取ったと言っていました
戦後 もう結婚が決まっていたおばあさんが
結婚相手が 『朝鮮の国に楽園が出来るんだ!身分の差もなく、みんなが一緒で幸せに暮らせる国が!そこへ行こう!』と誘われて
おばあさんは、そんなに素晴らしい国が出来るなんて!と胸踊らせたそうです
ところが 叔父さんに 行くのを止められたのだと
絶対に行ってはダメだ!と強く引き留められ
結局 おばあさんは、行かず
結婚相手は、一人で行ってしまったそう
そしてそれからこの人には二度と会えないと知ったのだと。
その人の渡った先は 今の 北朝鮮
でも そのおばあさんは、
叔父さんの言うことを聞いて行かなくて良かったと思います
と話してました
戦後に始めた 焼き肉屋が大当たりして
今では 隠居生活してるおばあさん
でも幼いときは、朝鮮人!と近所の子供たちから言われ、
その意味がわからなかったと
朝鮮人!って何?と親に聞いたそうです
その事があってから、日本人の母親の名字を名乗ったのだそう
絶対に朝鮮人とバレないよう、用心して暮らしたのよ?と言っていました
当時の日本は、情けないですね。悲しいことだし
とても恥ずべき事ですね
そのおばあさん
『私はね、半分だけ朝鮮人
でもね 朝鮮の言葉も話せない 話せるのは、大阪弁だけやから』と笑っていました
今、韓国に対して 嫌悪してるあなた
あなたの祖先は、日本人と言い切れますか?
もしかすると 秀吉時代に渡ってきた
朝鮮人かもしれないですよ
そして 韓国人に知り合いはいますか?
話したこともないのに嫌うのはおかしいですよね?
だから、嫌わずに 理解をもってください。
毎日 韓国の皆さんと会ってる私。
お一人お一人は、皆さんとてもいい方たちですよ
自己主張は、強いけど、
歩み寄れば 笑顔を返してくれるんです。
うちの旦那のように 話したこともないのに嫌うのは
どうかと思います
嫌いになるなら個人を嫌ってください
オリンピック、スピードスケートの小平選手とイ選手のような
そんな風に国もなれたらいいな、って
心から思います。