皆さんは 家族で旅行に行かれたことがありますか?
私は、私の産まれた家は 私が知る限り
一度です。
美容院を経営してる母が父と結婚したのは、昭和34年
翌年 私は、生まれました
引っ越して新たな土地に美容院を開業したのは
昭和39年
それからずっと この街で生きてきています
酒癖の悪かった父は 今で言えばDV。
母は、とても辛いと とある宗教に相談に行くうちに 入信してしまった
内弟子が嫁いだ家でもあったので、
宗教が嫌いな父も 邪険にすることも出来ずにいたが
私が小学校二年生のとき
昭和43年 その宗教の旅行会があった。
大阪での花火大会を見るのがメインの旅行。
宗教が嫌いな父もこの時ばかりは気持ちが動いたようで
花火大会を見たいがため、行く!と言い出して
私たちは大阪へと行きました
函館まで急行列車
それから青函連絡船に乗り、青森へ
青森からも急行列車。
夜汽車に揺られながら 私は、誰の膝に頭をのせて寝ていたのだろう?
今でも忘れないのは 夏だったので、列車の窓は開いていて
機関車が引いていたので、トンネルを抜けたら
みんなの鼻の穴が黒くなっていて 大笑いし、
それからトンネルに入る度に
窓!と言っては 大急ぎで閉めてたこと。
着物を着ていたおばあちゃんは、日本手拭いを襟にかけて
煤で黒くなるのを防いでいた
それを繰り返しながら 一晩かけて大阪へと行きました
着いた日は どこにも行く気持ちもないほど、布団に寝られることがありがたくて
疲れはてて寝てしまい
翌日 大阪見物になりました。
母が子供の頃に住んでいた 住吉辺りを見て歩き
同級生の家がまだあった!とか、なくなっちゃってる とか、想い出にひたっていました。
その夜が 花火大会だったのか、その翌日だったのかは、定かじゃないけど、
子供心に ハッキリ覚えてる
北海道で、見たことがない花火だった
父も 感動して 私にしきりに
ちゃんと見とけ もう、見られないからな!
と言ってました
団体旅行だったけど、
父が運転する車でなく、列車や、船での旅は
あとにも先にも あのときだけでした。
だから 大阪 と聞いたり見たりすると
あの時の旅行を思い出します
そのあと、母は、二人の妹とまた行って
学校も住吉女学校なんだよね!と探したらしいです。(なかったようだ)
普通の高校になってたらしくて、
戦争で書類も焼けてしまい
母が在籍していたのは、わからず、同級生の消息もわからなかったそうだ。
私の家族は 一昨年の 娘の挙式のためのグアム行き
それが家族で出掛けた最近の旅行
来年 母の米寿で
さて どこに行くかな。