故郷から都への挑戦。竹内まりや「明日の私」 | よねともが気ままに思うブログ

よねともが気ままに思うブログ

よねともが思うことを綴るブログです。
好きな音楽をただ紹介しています。

本日は竹内まりや「明日の私」(1994年リリース) です。





1992年にアルバム『Quiet Life』をリリースしたまりやさんですが、このアルバムがリリースされるまで、前作『REQUEST』からなんと5年もの月日が経過していました。当時であれば5年もの間にアルバムがリリースされないのはかなり異例で、売上や本人の知名度が下がりかねない事態でもあります。プロデューサーでアレンジャーの山下達郎さんでさえ、この時期の作品は2〜3年おきにアルバムをリリースしていましたので、異常とも言えます。ところが、『REQUEST』は3年ぶりのアルバムリリースにも関わらずオリコン1位、最終的にはミリオンセラーとなる異例の売上を誇ると、達郎さんは「多少のインターバルはハンデにならない」と判断し、より制作に時間を掛ける方針に変更します。加えて『REQUEST』と達郎さんのアルバム『僕の中の少年』、そして『ARTISAN』で培ったデジタル・レコーディングとコンピューター・ミュージックのクオリティを活かして、『Quiet Life』においても達郎さんによるコンピューターで制作された作品が多く、そしてより作家的で雑多な作品が目立ってきました。とはいえ、まりやさんの作る歌詞とメロディーが当時の世代にヒットしたこと、そして達郎さんの作る普遍的で鮮度を保ったアレンジが受け入れられたことも大きく、『Quiet Life』は、『REQUEST』に続いてミリオンセラーとなりました。また、収録されたシングル作品「シングル・アゲイン」と「告白」はオリコントップ10圏内に入り、大ヒットとなるなど、ヒットメイカーとしての安定期にも入ります。

『Quiet Life』リリース後は達郎さんの作品の制作がメインとなり、ア・カペラとオーケストラの融合を目指した『SEASON'S GREETINGS』の制作・リリースがあり、大ヒットとなります。そして、1994年に入るとまりやさんの制作がメインとなり、シングル制作に入ります。その第一弾となったのが、この「明日の私」です。

まりやさんは、島根・大社町 (現在の出雲市) 出身で、出雲大社が近い所で生まれ育ちました。


出雲大社。

まりやさんは高校卒業までこの大社町で育ちましたが、大学進学に伴い、故郷を出て東京へ上京します。この曲はそんなまりやさんと同じような境遇で、夢を追って故郷を出て都へ向かう「私」の決心、そして寂しさや切なさ、強さを描いた作品となっています。

私を育てたこの町に 新しい風が吹いたら
思い出ごと箱に詰めて 都へと旅立つの

生まれ育った離れがたい我が故郷。そんな街に「私」を呼ぶように風が吹きます。その風を追うように、「私」は、沢山の思い出を一緒に持っていき、都へと旅立ちます。「風」は「夢」と同じようなものだと思います。

うしろ髪引かれる気持ちで みんなにさよならしたけど
泣いてなんていられないわ 明日が待っているから

しかし、故郷を離れるのはもちろん寂しい。ましてや一緒に歩んできた友と離れ離れになるのは、もっと寂しいものです。離れるのは嫌だけど、さよならしなくてはならない。もう成長した自分はここで泣いてなんていられない。明日には違う場所で歩いていかなければなりません。「私」の寂しさと、その裏腹に決意した強くならなくてはならないと言い聞かせる「私」の葛藤を感じます。

自由気ままなひとり暮らし 思ったほど楽じゃなくて
置き去りにした古い恋も フェイドアウトで消えたの

都へ移り住み、憧れのひとり暮らし。しかし、やることが多いひとり暮らしになかなか慣れず、こなすことで精一杯。故郷に残った付き合っていた彼氏とは遠距離恋愛となり、連絡も取ることが出来ず、結局は自然消滅となってしまいます。「私」の都での苦労を描いています。

ビルの谷間歩きながら 私覚悟決めたんだ
夢をいつか叶えるまでは 故郷には帰らない

都の高いビルの間を歩き、都で生きると決めた私。ここで夢を叶えるまでは、故郷には帰らないと決心します。ここから都で逞しく生きる「私」に期待です。

ドラムとベースの力強さが印象的で、逞しく生きる「私」をテーマにしたポップなアレンジは達郎さんによる手腕。ベースを伊藤広規さん、一部のパーカッションを浜口茂外也さんが演奏する以外は、全て達郎さんによる演奏となっています。ドラムは生ドラムとコンピューターによるものを重ねています。勿論、達郎さんによるコーラスも健在です。

強い意志を持って故郷を出て、夢を追って都を生きる「私」。ポップだけど力強い佳曲だと思います。


↑これしかありませんでしたが、違和感ないドラムカバーです。