本日は原由子「想い出のリボン」(1991年リリース、アルバム『MOTHER』収録) です。
サザンオールスターズは、桑田さん以外のメンバーも全員ソロ活動をしており、80年代は全員がソロアルバムをリリースしています。その中で原さんは一番最初にソロデビューをしており、サザンデビューから3年後の1981年に、アルバム『はらゆうこが語るひととき』とシングル「I Love Youはひとりごと」の同時発売でデビューしました。初のソロアルバムはヒットし、80年代はサザンの活動と並行してソロ作品も発表し、1983年の「恋は、ご多忙申し上げます」はソロ最大のヒットとなるなど、サザンのメンバーの1人から、J-POPを代表するシンガーとなっていきました。その後「あじさいのうた」「ハートせつなく」「じんじん」もヒットし、1991年にアルバム『MOTHER』は、70万枚以上の大ヒットとなり、その年の紅白歌合戦にもソロで出場しました。
この曲は2枚組となっている『MOTHER』の2枚目最終曲で、作詞・作曲を桑田さんが、編曲を桑田さんと、当時サザンの曲制作に参加していた小林武史さんが手掛けました。
1枚目の最終曲となっている「花咲く旅路」同様に、正統派のバラードとなっておりますが、「花咲く旅路」が日本の原風景を訥々と歌ったものに対し、この曲は卒業・別れの歌となっています。当時、歌詞に英語をよく入れていた桑田さんが、歌詞を全て日本語で書くなど、特に詞に力をいれていることが窺えます。
「風がくれた落葉の手紙 別れの詩」
「喜びと悲しみを連れた 時間(とき) の運命」
冒頭の歌詞ですが、特に一番好きな歌詞で、詩的叙情を感じます。もう少しで別れ。それは大人になるステップを踏み出す喜びと、歩んできた友との別れる悲しさ。必ず別れる運命にあります。
「さよならも言えずに涙に替えて贈る」
「青春の日々を染めた 恋の終わり」
詩の主人公は、別れる相手がずっと想いを寄せていた人でした。さよならは言いたくない、だから涙に替えて伝えていました。
「あの人のためなら 笑顔のままでいたい」
「情熱の海に投げた 愛の言葉」
想いを寄せていた相手に、想いを伝える怖さ。あの人との関係を崩すくらいなら、笑顔のまま、愛の言葉を相手ではなく、海に向かって叫んで発散する方がいいと思ったのでしょう。そんな恋愛の駆け引きを感じます。
「想い出のリボン 夜明けまでに結んで そして誰かの吐息で濡れている」
「悲しみのリボン 涙に濡れた私の 通り過ぎてく季節は 愛を越えられない」
このリボンは制服のリボンだと思います。一人寂しく、涙を流しながら青春の想い出を振り返りながら、想いを込めて結んでいます。そのリボンは卒業すると使われません。でもこの「想い出のリボン」は愛が詰まった想い出として、季節を越えても残り続けます。無情の別れを告げている様子が伝わってくる歌詞で、特にサザン・桑田さん関連の曲で好きな歌詞の一つです。
前述の通り、桑田さんと小林さんによる共同アレンジとなっています。当時凝りに凝ったデジタルの音色が使われており、ドラム・ベースは打ち込みです。小林さんはピアノ・キーボードを一手に担っています。アコースティック・ギターは桑田さん・小林さん関連でよく参加していた小倉博和さん、エレクトリックギターは小倉さんと原田末秋さん、サビの印象的なエレクトリックシタールは原田さんによる演奏です。桑田さんはイントロ・間奏のコーラスで参加しています。
原さんの曲で1,2を争うくらい好きな曲。そして別れの季節に必ず聴く曲です。
※Instagramの投稿を加筆・修正して再掲。