「ねえ、ともちゃんが何を描いたか知りたいなぁ・・教えて?」
「いろんな色を使ってきれいにかけたね・・この絵にはどんなお話があるのかな?」
腫れ物に触るように様子を伺う。


「ねえ、みんなは先生に何を描いたか教えてくれたよ、あと、ともちゃんだけなんだけど・・」
「お給食の時間になっちゃうよ、早く教えてくれないかな~」
優しい言葉で気持ちを煽ってみる。心の中では「早く話してよ!」とイライラする自分がいた。


ともちゃんの目には涙が薄っすら浮かんでいた。


3歳児絵画の時間、子どもたちが描いた画用紙の裏には、子どもたちの絵に対する思いを書き留めるのが定例だった。


ともちゃんが夏休みの思い出の絵に「ふね」を描いていたのはわかっていた。
それよりも「何を描いたの?」と聞いて、「ふね」と答えてくれることだけを、まるで容疑者に罪を白状させる刑事のように待っていた。

「このことだって、家に帰ればお母さんに全部話すんでしょ!どうしてここでは話せないの?」
口の中いっぱいに広がった一言を、爆風のように浴びせる寸前で飲み込んだ。

ともちゃんは家に帰ると同時に、その日に幼稚園であったことを堰を切ったように事細かに話すというのに、幼稚園では、入園式から固く口を閉じたまま一言も話さない子だった。

幼稚園でものびのびと話せるようになってほしいという思いは、同じような場面を重ねるうちに、「話せるようにしてみせる」といった曲がった使命感に変化して、余計に事態を悪化させていた。


数分後、ともちゃんは涙をいっぱい流しながら「ふね」と一言だけつぶやいた。

社会に出て3年目。子どもの気持ちに寄り添うといった心の欠片もないほど、毎日決められた仕事をこなすだけの青く苦い思い出である。

原色の力強さ、パステルカラーの優しさや幸せ、黒や茶色のカッコよさ。
子どもたちの絵にはその時々の気持ちや成長が大きく反映される。

ともちゃんが描いた絵は、淡い水色の海の上にまるくてピンク色のふねが浮かんでいた。

後味の悪さだけが今でも鮮明に残っている。





クローバーエッセイをお読みいただき、ありがとうございました。
子どもたちが強く社会を生き抜くために、自分は何ができるのか、何を残せるのかを問い続けながら出版を目指しています。

今回は「バンクシーを読む」を読んで、そこからインスパイアされた思いをエッセイとして書きました。