明らかに場違いだった。

 

毎年外国を旅しています…。大学では英文科でした…。

ホームステイを何度も経験し、結婚前はロイター通信で働いていました・・・。

同席していた他の人から繰り広げられる豊富な英語経験を交えた話の中で、

私の自己紹介は、「幼稚園で働いていました。英語は高校卒業以来触れていません。よろしくお願いいたします。」だった。

 


「自宅で子どもたちと楽しくレッスン!短大卒程度の学力でOK!

当時、母親を看ながら出来る仕事を探していた自分にとって、大手英会話教室のホームティーチャー募集広告(正確にいうと大手英会話教室とは知らないまま)の軽やかなうたい文句は大きな魅力だった。

履歴書を持参して受けた面接は難なくパスしたが、予習として渡された課題は英語だらけ。これを一から教えてもらえると思ってこの日を迎えたが、それは大きな間違いだったと気づくのに時間はかからなかった。


ここは外国か・・と思うほど流暢な英語に囲まれ、一斉に英文を読む場面では口パクすらできずに茫然としながら時は流れた。帰り道の1時間は、不安と悔しさ、「英語ができることがそんなにすごいことなのか!」と怒りにも似た反発心の涙でぐちゃぐちゃになりながら逃げるように車を走らせた。新しく開講する教室のためのトレーニング初日の出来事は、自分史に残る屈辱として鮮明に刻まれている。

 



そんな私の教室は、気持ちに逆行するかのように、開講当初から20人、50人、100人・・

160人と生徒が増えていった。トレーニングを一緒に受けた英語ペラペラの他教室の先生が「どうしてそんなに生徒がいるの?」と言わんばかりの不思議な顔をした。

自分でも不思議だった。

 


毎日笑顔で通ってくれる子どもたちに会えることが嬉しかった。

子どもたちと過ごす時間が何よりも楽しみだった。

英語の知識と経験のアドバンテージが低い分、

「子どもたちが英語を学ぶために必要なこと」を求め続けて22年が経った。

 

英語との出会いが私の人生を大きく変えた。

 


 私は今でも英語を流暢に話せない。

そんな私の元から英語が大好きな子どもたちがたくさん巣立っていった。

 

 



 

 

クローバーエッセイをお読みいただき、ありがとうございました。
子どもたちが強く社会を生き抜くために、自分は何ができるのか、何を残せるのかを問い続けながら出版を目指しています。