今回の震災で、本当に何もかも無くした。

生き残ったのに、こんなコト言うと不謹慎と思われるかもしれないけど、生きる希望も無くしてた。


震災当日は、バイト中だった。

大きな揺れの後、津波が来てると知らされ、社員の車に乗って逃げた。

本当に緊急だったので、ロッカーには鞄や携帯も置いたまま。

自分で運転してないから何処に走ってるのか分からないけど、皆が集まってる場所まで逃げた。


町が津波に飲み込まれてる・・・  悪い夢でも見てるかのよう。

実際に目の前で起こってるコトが、現実として受け入れられなかった。



家(賃貸アパート)のあった場所も含め、確認できないけど周囲は壊滅状態。

母親とも連絡が取れないまま。

持ってる物は、今来てる服とポケットに入ってる財布、あと腕時計だけ。

情報も全く入ってこなかったのも、不安だった。

今回、壊滅的被害を受けたのはココだけじゃなく、

岩手・宮城・福島の全域が被害と知ったのは2日後だったし。

原子力発電のコトは、もっと後だ。


あと、母親の安否の確認が全く取れなかったが一番心配だった。。

最悪のコトは考えたくない。

それよりも先に、別の町に住んでる祖父・祖母の死亡が確認された。

交通網が遮断され現地には行けないけど、死亡欄に名前を見つけたときには涙が出た。

それから数日後、母親の死も確認した。


その後どうしたのか、自分でもよく覚えていない・・・

体は生きてるけど、心は死んでた。

避難所で何をしてたのかも分からない。

たぶん、考えるコトすら、したくなかったんだと思う。


「立ち上がる」

簡単そうに思えるこの行動が、どれほど大変か身に染みて理解できた。

ハッキリ言う。今の僕には無理!と断言できたもん。


でも、同じ町内とはいえ、全く見知らぬ避難所の人達や

自衛隊、ボランティアの方々が懸命に動いてくれる。

そんな自分に出来るコト。

・生きる

・立ち上がる

・前向きに進む

この3つを、自分に言い聞かせた。



母親の埋葬も見届けたし、この町に留まる必要は感じない。

中学・高校のイジメで嫌な思い出しかないし、

通信制高校を東京にしたのも都会に行きたい想いからだ。

だけど、行く当てなんて全くない。

更に、お金もない。


ただ、お金は一時金として3万円を手にすることが出来た。

(ホントに一時的なもんだけど、無いよりマシ)

身寄りは全くなくなったけど、東京に遠~い親戚が居るから、とりあえずココを頼ろうと思ってた。

子供の時(今も子供か?^^)に1回会ったのと、

東京でのスクーリングの時に1度泊めてもらったきりだけど。

でも、同じ東京でそこに行くくらいなら、綾乃さん家の方が居心地が良い。

ただ、携帯も無いからメールも電話もできない。勿論、連絡先なんて覚えてる訳ない。

やっぱり直接行くしかないなぁ・・・  

断わられたら、親戚の家を当たろう。(親戚の方もアポなしだけど)


そんな訳で4月6日、行き当たりバッタリの旅に出た。

17歳の春である。


結論から言うと、断わられるコトもなく、綾乃さんは歓迎してくれた。

僕の住所は知ってるから、ずっと心配してくれてたようだ。

電話も通じないからと、何度も携帯やPCにメールしてくれてたとのこと。

(履歴を見せてもらうと、毎日メールしてくれてた)



で、今は東京に避難(居候?)しています。

全部失ったと思ってたけど、このブログだけはちゃんと残ってた。

(自分のPCで管理してる訳じゃないから、当たり前か)

綾乃さんのPCからアメーバ・ブログを開くと、

僕のコトを心配してくれる人から何通かメッセージが入ってた。

ただ、まだ直接のメッセージをやりとりする気持ちじゃないので、ここでの報告に代えさせて下さい。

ごめんなさい。