めがねのおじさん
お世話になったおじさんが亡くなった。
父母の友だちだが私にとっては
もう一人の父親のような人。
私の「智美」という名前もなぜか両親でも姓名判断でもなく
おじさんがつけてくれた。
私の名づけ親なのだ。
小さいころは、おじさんが働く両親に代わって
いろんなところへ連れて行ってくれた。
昔、私の家は貧乏だった。
トイレもお風呂もない、4畳半一間の社宅で
屋根はトタンで雨の日はうるさかった。
大きなネズミが出て大騒動したこともあった。
そんな暮らしから脱出するため
私の両親は必死で働いていた。
お金が無くて困ったときに
おじさんが黙って通帳を差し出してくれたこともあったらしい。
私は親に物をねだったことがなかった。
でもよくおじさんがお小遣いをくれた。
生涯、独身だったおじさんは私のことを娘のようにかわいがってくれた。
そして、子どもたちのことも・・・。
火曜日、おじさんは少し早いお年玉を子どもたちに持ってきてくれた。
いつものように美優はおじさんにまとわりついた。
おじさんはいつも美優のことを気にかけてくれていた。
その日も美優は
おじさんの肩を「ポンポン」と何度もたたいていた。
今日の午後、
倒れて救急車で運ばれたと連絡をもらい
美優と病院に駆け付けたときは亡くなっていた。
何回呼びかけても返事がない。
美優はいつものようにポンポン何度もたたいた。
でも、反応がない・・・。
「また来るね」と言ったのに・・・。
一昨年、私が自損事故をおこして車が直るまでの間
車を貸してくれたのもおじさんだった。
いろんなことが頭の中でぐるぐる蘇る。
おじさんが寝込んだら私が面倒みるねと約束していたのに。
私はなんの恩返しもしていない。
私はおじさんにどれだけ助けてもらっただろう。
どれだけ愛を与えてもらっただろう。
火曜日、別れ際におじさんに車に呼ばれた。
車を点検に出したらRADIO SANQのチャンネルが分からなくなったから
私の番組が聴けるようにあわせてほしいと言われた。
機械に弱い私・・・。
ナビについたラジオを一生懸命84.5にあわせる。
なかなかセットできず、いろんな話をしながら
おじさんと時を過ごした。
3日はお休みで
10日から私の放送だから絶対聴いてねと約束をした。
おじさん、84.5にセットしたよ。
絶対に聴くと言ってくれたのに・・・。
今年は元旦にいとこの悟くんが亡くなった。
とってもお世話になった方も亡くなった。
そして、ラストにこんな悲しいことがあるなんて。
明日は美優の誕生日だよ、おじさん。
夫は年末スペシャルの深夜放送で岐阜へ行った。
淋しすぎる・・・。
涙が止まらない・・・。
おじさんはめがねをかけていたので
ずっと「めがねのおじさん」と私は呼んでいた。
めがねのおじさんが私に最初にくれたプレゼント
「智美」という名前をありがとう。
まだ気持ちの整理がつかないけれど
ずっと見ていてね。
めがねのおじさん、ありがとう。