ブログを書くにあたって、先生からは一言だけいただいた。
「言葉に気をつけてください」
人を傷つけないよう配慮しなさい、という意味かな?と思いつつ…
やったことは、いったん記事を書いてから、それを全部デスマス調に直すという作業をしていた。
流石に途中から、なんか無駄な作業してる?と思い始めて、思いつくままに、あまり手を入れずに好きな事を書くようになった。
そこには、幸福の科学の名前を汚してもいけないという思いがある。
自分が信者であると明らかにしている以上、世間一般の目は私個人でなく、幸福の科学の信者として見る人もいるからだ。
一度ネットに上がったら、記事を削除したとしても、書いた文字や画像を完全にネット上から取り除けない。
なので、言葉遣いこそ自分の素のままに書くようになったものの、憑依は生々しくならないよう、ぼやかして書いてきた。
でも、本当は憑依がどういうものか、そこから何を学んだのか、知ってほしいことがたくさんある。
それには細かく表現しないと、伝えられないことがある。
けれど、それを思うように伝えられない。
ブログで書くのでさえ躊躇するのだから、人に話せるはずがない。
ずっと、そう思っていた。
書きながら、ふと気がついた。
カッコつけて書いてるけど、実のところは
書いたことをどう思われるか、
怖いだけなんじゃないの?
記事を書きながら、私はクスリと笑った。
なんだ、やっぱりそうか。
あらゆることで、自分のことを、恥じて、責めて、イジメまくってきたから、私にはできない、伝えられないと思い込んでいた。
伝えた後、相手がどう感じるかは相手次第だから、私は言いたいことを伝えるだけでよかったんだ。
すぐにできなくても、すぐに自分イジメをやめられなくてもいい。
そのつど、そのたび、
「自分を受け入れ、認め、許し、愛しています」
と言葉をかけて、少しずつ愛のフォトンの衣を重ねていこう。
愛が溢れるほど強くなれば、恐れは自ずと減っていく。
完全に消さなくていいし、消せるはずがないから、これは私の一生の課題だ。
そうすれば、全て良い方向に向かっていくんだ。
これからも色んなことがあるだろうけど、きっと今までのことが糧になって、乗り越えていける。
学びのために必要な憑依は、たくさんあった。
でも、単に体が不調になるだけの、不必要な憑依もたくさんあった。
不必要な憑依の理由は、
私が自分をいじめてきたから
だと、ようやく気がついた。
自分をいじめちゃいけないよって言われて、そうですねって頭で理解するのは、そう難しくない。
けれど、具体的に私がどう自分をいじめているのか、気づくことは難しかった。
自分の意地悪な部分と向き合うのは痛すぎるから、無意識に気づかないようにしてしまうから。
私は奇跡をいただいた。
自分の弱さに気づくという、奇跡を。
ようやくスタートに立てました。
心から主に感謝いたします。
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