否定から始まる会話では、幸せは感じられないでご紹介した講師の方と、二度目にお会いした時はお友達もいらっしゃいました。

その時に勧められたのは、“アルクトゥルス人より地球人へ”という本なのですが、お友達はこれを読んですごくショックを受けて、そこから立ち直るのに大変だったと言います。

宇宙人が地球の金を必要になったが、地球に体がなじまないことと、肉体労働が嫌なので、金採掘のために奴隷ロボットを作った、それが人間の始まりだと。


だから人間には奴隷根性が備わっているのだと、それがショックだったそうなのです。

私は宇宙人がいることは理解していますが、初めて見る情報ですし、そうしたことがあるかもしれないし、ないかもしれない。

そうだと仮定しても、ショックを感じるのかなぁ?と思うし、さすがに中身をよく読まずに「そうなんですか?!」と信じられるわけもありませんから、「はぁ…」って感じで聞いてました。

講師の女性もお友達も、そうやって得た知識を、ご主人や周りの方に話すのですが、皆さん似たような反応のようです。

何を信じるか、それはその人の自由ですし、私がどう判断するかは本を読みこんでみないとわかりません。

私が気になったのはそこではなく、続いたお友達の言葉でした。

「だんなと話してると質問してくるんだけど、そんなこともわかんないの?って、そんな簡単なとこから説明しなきゃいけないの?って」

(うわぁ…どんだけ上から目線?)

講師の女性も同じようなことを言っていました。

「何時間も話してて、最後に『で、魂って何ですか?』って聞かれて、そんな基本的なこともわかってないの?って、がっくりきた」

(いや、魂が何か説明できないの?私もがっかり…)

と、内心突っ込みまくりでしたが、初対面でそんなことを言えるはずもなく、その時は黙って聞いていました。

自分が知っていることを、相手が知らないからと、どこか見下げていて、しかも自分がそのことに気づいていない。


こうしたことは誰でも日常的にあることです。


つい先日も、私と同郷の同級生の友人と話していた時に、成人式の話題になりました。


友人「私たちの時から、着物が解禁になったんだよね。それまで着れなかったけど」

私「そうだっけ?」

友人「おい!(そんなことも覚えてないのか?という突っ込み)」

私「あなたは着物が好きだから関心があるかもしれないけれど、私は着物が嫌いだから、そんなこと覚えてない」

売り言葉に買い言葉ではないですが、私は成人式の着物で嫌な思いをした記憶があるため、ついムッとしてそう答えてしまいました。

この友人は人が嫌がっていること、怒っていることに気づきにくいところがあるので、あえてキツイ口調で言わないと嫌がっていることがわからないということもあり、話しているとつい口調がキツくなります。

友人は、しまった💦という顔をしていましたので、何が悪かったか、わかったようです。

すぐに話を切り替えて、私がいつまでも怒っているわけではないということを暗に伝えました。


自分が知っていることを、相手が知っているとは限らない、相手が興味を持ってくれるとは限らない。

そんな当たり前のことに気がつかずに、相手に話した時の返答が、思ったような答えではないからと、がっかりしたり、怒ったりする。

また、自分の常識、家庭内のルール、そうしたものが世間一般の常識にも当てはまるとは限らない

それがわからないと、世の中は「何でそうなるんだ?!」とイライラすることだらけです。

世間の一般常識だって、時が経てば変わるもの、立場によっても変わるもの。

でも一般常識が神の目から見て、すべて正しいものでなくても、長く伝えられてきたものには真実も多く含まれます。


ですのでW先生は、「世間の常識に当てはめて考えろ」とよく言われていました。


個人的な常識を他人にぶつけて、「そんなことも知らないんですか?」と言うならば、「自分の常識は人の非常識だと、そんなこともわからないんですか?」と、私は答えるでしょう。


かくいう私自身もそうした高慢さに陥らないよう、気をつけたいと思っています。

 

 

 

 

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