私は「かわいそう」と言われることも、言うことも好きではありません。

 

私は男の子を3人育てましたが、まだ小さかった子供たちを連れてスーパーで買い物をしてると、突然知らないおばさまさから、「男の子3人?!かわいそうに~~」と言われました。

 

切に女の子が欲しいと思った時期もあったせいもあるかもしれませんが、私はカッチーンときました。

 

何で見ず知らずのあなたに、私が男の子を3人授かったことが不幸だと決めつけられなきゃいけないのよ!

 

私は女の子を授からなくても幸せです!

 

と、それ以来「かわいそう」という言葉が嫌いになりました。

 

後で調べたところ、「かわいそう」という言葉の裏には、「私はあなたと違ってて良かった」という優生思想が根底にある場合が多いとわかりました。

 

また、「かわいそう」という言葉を浴びながら育った子供は、不幸感覚が強く、自分はかわいそうな子供だから保護されて当然、優先されて当然な人間なのだ、という感覚が育ってしまいます。

 

それがわかってから、私は極力「かわいそう」という言葉を使わず、人にも「かわいそう」が嫌いな理由を伝えています。

 

 

人はいろんな環境下で生きています。

 

それが望んだこともあれば、そうでないことだってたくさんある。

 

でも私は、それをかわいそうと、不幸だと決めつけられるほど、嫌なことはないです。

 

私たちの人生は一冊の問題集のようなもので、私たちに起こる一つ一つの問題は、魂を成長させるための課題に過ぎず、その人に渡される課題は必ずその人が乗り越えられるようになっているからです。

 

私の身の回りに起こること、たとえ人様から見て不幸だと思うことでも、私は神様からのプレゼントだと思うのです。

 

それらがあったからこそ、私はより強く、より優しくなれたから。

 

人生の中で、今が一番幸せです。

 

これから先も、私はずっとそう言い続けるでしょう。

 

人生の最期の幕を閉じる時まで

 

そして自分の最期を迎えた後に、行くところはわかっているので、最大限の霊様を連れて帰ると決めています。

 

肉体を持った魂も、すでに肉体を持たない魂も、私にとっては同じこと。

 

私は私ができる限りの魂を救いたいと、本気で願っています。

 

私たちは不幸などではない。

 

この世に生まれることができた、幸せな魂ばかりなのだと信じています。

 

 

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