先日、次男の障害者施設のイベントでお祭りがあり、私は金魚すくいを担当しました。

出足が遅かったわりに、気がつけば人がしゃがむ隙間がないほどの大盛況!!

お昼まで金魚が残らなかったのは、ここ数年、金魚を担当していて初めてのことでした。

さて、そんな子供に交じって、おばさまがいらっしゃいました。

「この隙間にどうぞ」と、座る場所をお勧めすると、「金魚が死んで、2~3匹ほしいだけだから、さっさと済ませたい」と言って座りました。

早く済ませたいと言うわりには、金魚を選り好みしているらしくて、なかなか終わりません。

うまくすくえなくて、イライラしてらっしゃったのかもしれません。

私が彼女の後ろで動いた瞬間、「つめたっ!何してくれるの、水がかかったわ!!」と言われました。

水槽の周りにお客さんをできるだけ座ってもらうためと、私が動きやすいように、私は後ろで作業をしていたので、気を付けていたつもりですが、水をかけてしまったのです。

「すいません!」と即座に謝りましたが、おばさまの怒りは収まりません。

それでも金魚をすくいあげ、袋に金魚を入れている女性にも「水をかけられて最悪!」と、私に聞こえるように話しています。

「ありがとうございました。すいませんでした」と見送るも、むすっと黙って横切って、すぐそばのご主人と見られる方に「水かけられちゃったのよ」と、それでもまだ言っていました。

私としてはやはり複雑な心境でしたが、やってしまったミスに対して私は真摯に謝りましたから、それを許すか許さないかは相手の自由だと考えて、気持ちを切り替える努力をしました。


私は「かわいそうな人=不幸な人」と考えているので、人に対して「かわいそう」という言葉を使うことを局力避けています。

しかし、さすがにこのおばさまのことは、かわいそうだと思いました。

もちろん、水をかけられたからかわいそうなのではありません。

水をかけられたことを許せず、いつまでたってもイライラしているからです。

「さっさと済ませたい」という言葉からも、この方は日常的にイライラしてらっしゃるのではないかと思わますし、その時・その場所の、与えられた時間を楽しむ力が弱くてらっしゃる。

かつての私がそうであったように…


私が思う不幸の定義は、生きるために不都合なことが起きることではありません。

不安だったり、イライラしたり、悲しかったり、心乱れている間、人は不幸を味わっていると思います。

対して、幸福とは、自分に都合の良いことが起きることではなく、心穏やかでいられることだと思うのです。

なので私は、面倒なことがあったり、辛いことがあっても、心穏やかでいられる強い自分になりたくて、宗教を学び、そのノウハウを使って日常生活に現れる課題の一つ一つを解決してきました。

すると周りの人に笑顔が増えてくるんですね。

結婚した時は仏頂面しか見たことなかった義父がよく笑うようになり、怒鳴って会話するのが当たり前だった姑が穏やかに話すようになりました。

精神障害のある夫の長男も落ち着いて生活しており、私の次男もいつも笑っていることが当たり前になりました。

夫と私はいつも「幸せだね」が口癖で、結婚した時はぶつかってばかりだったのに、今はほとんどケンカすることがありません。

「自分が幸せになったら、人にもその方法を教えるんだよ」

斎藤一人さんの言葉を思い返し、生ある限り、できる限り伝えていきたいと思います。

それが、私を幸せに導いてくださった人や霊に対する、私なりの恩返しです。

 

 

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