12年前に亡くなった父に戒名はない。

かと言って

クリスチャンでもなかった。

ところが父は

何故かクリスマスにはこだわっていた。

 

1960年代。まだ、一般の庶民で

クリスマスを祝う家が

とても少なかった時代の話だ。

3歳か、4歳の頃か?

父ば社宅アパート二階の

6畳間の壁いっぱいに

クリスマスツリーの絵を描いてくれた。

畳の上に座って大きな木(絵)を

見上げたのを覚えている。

木の部分は緑色の絵の具と

カラフルな色紙だったが、

背景は新聞紙だった気がする(笑)。

 

そして母はどういうわけか

必ずアイスクリームケーキを買ってきた。

発泡スチロールだから

箱はとても大きいのだが、

大きなふたを開けると

中身がとても小さくて、

大きいのが入っているとばかり思っていた私は

ちょっとがっかりしたものだ。

でも夫婦とチビ二人の四人家族には

ちょうど良い大きさだったかもしれない。

私の記憶に残る

最初の数回のクリスマスは

このアイスクリームケーキだ。

 

そしてクリスマスツリーは

父の昇進とともに、

少しずつ大きくなって行った。

幼稚園の頃はいわゆるおもちゃのツリーで、

60年代の後半、

小学校低学年の頃には

生の「もみの木」が家に届いた。

 

木が丸ごとどーんときて、

家の中に入れて飾るには

ちょっと大きすぎたので、結局

母がそれを庭に植えてくれた。

本物の木より

大きなおもちゃの木の方が

よかったなぁ・・・と

その時は残念に思ったのを思い出す。

 

子供時代の私にとって

一番良かったのは、

両親がサンタクロースを

演じきってくれたことだ。

うちではサンタクロースは

夜中にくることになっていて、

チビだった私はサンタクロースは

一体、どこから来るのか?

探偵のごとく、一生懸命考え、

イブの夜は夜通し起きて、

サンタクロースに会おうと何度も試みた。

が、結局、目がさめると

枕元にプレゼントがあって、

サンタクロースは消えていたのだ。

弟と二人で、

今年も見られなかったと悔しがったり、

いつの間に来たのだろう?と

首を傾げたものだ。

 

ある年、

タンスの扉をちょっとだけ開けて寝てみた。

するとクリスマスの朝に

扉が閉まっていたのだった。

サンタさんが閉めたに違いない!!!

と私は大興奮で、両親に報告した。

タンスの扉が閉まってたんだよ!と。

両親は「あらふしぎね」とスルーした。

 

小学校5年くらいになっても、

うちにはサンタクロースが来た。

私は6年から海外に転居したこともあって

サンタクロースの存在を特に疑わないまま

大きくなることができた。

頭が悪かったのかもしれないが。

 

サンタクロースは

実は親ではないか?と気づいたのは

中学に入ってからではないだろうか?

でも「サンタクロースは本当にいるのか?」

みたいなことを投げかけても

両親は二人で

上手にしらばっくれてくれた。

ネタバラシをされたこともなかった。

 

私の子供時代の最大の幸運は

サンタの正体を知らずに

大きくなったことに

尽きるような気がする。

 

大人になってみると、

「嘘」だけじゃない、

「騙し」やら

「脅し」やら

「詐欺」やら

嫌なことそこら中に

ゴロゴロしているじゃないですか。

 

子供が知らなくていいことは

知らせなくて良いのだ。

 

だからうちの娘のところには

毎年サンタクロースが来る。

高校2年だけど、今年も来た。

午前3時半ごろだろうか?

枕元にそっとプレゼントが届くのだ。

 

もちろん、とうの昔に

娘はサンタの正体に気づいたはず。

でも私はそれすら聞いていないし、

名乗ることもない。

 

不思議なのだが

毎年のプレゼントについて

娘からは「ありがとう」もない。

お互いに、何事もなかったかのように

しれ〜〜〜っと普通に過ごす。

クリスマスプレゼントを

別に用意した時も、

夜中のサンタさんは別途来るのだ。

買うのが大変だが。

 

来年は18歳、流石に最後かなぁ?

それとも20歳までは続くのか?

小太りサンタは悩み中です(笑)

 

でも絶対に明かしません。

サンタクロースだけは

世界で一番素敵な嘘だと信じています。

 

娘が親になって

真似してくれるといいな、と

内心思っています。