先日作家の村上春樹さんがスペインのカタルーニャというところで、スピーチをしたということをニュースでやっていた。
村上春樹氏がカメラの前で話している姿を初めて目にした。
めったにテレビなんか出ないので、どんな人なのかを注視してしまって一回目は内容がぜんぜん入ってこなかった。
幸い録画をしていたので二回目には何とか理解ができました。かなり編集されていたけれど。
村上春樹氏らしくユーモア(外国人むけの)を交えてスムーズに(?)本題へ導入していく。
内容は、今回の地震での原子力発電所の事故を受けての日本の原子力についての在り方について。
核心をついていてそれでいたコンパクトで無駄がない。
勇気をもらった。
声を上げ続けなけば。
全文載ってます。良かったら
http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040019000c.html
地震から三か月が経ちました。
地震が起きた日からの三か月間はどうだったか?
そして三か月前に比べて今どんな状態か?村上氏のスピーチを読み、考える。
あれほどショックだったのに、あの時の感覚は確実に「変化」している。
この「変化」があるから生きていけるのだけれど、
「変化」することで、歴史上悲惨な過ちは繰り返されてきた。
このことはしっかりと胸に刻んでおかなければならない。
きっと地震そのものの手触りはこれからも変化し続けるであろうけど、原子力発電所はいまだに危険な状態で。
地震発生時からほどなくして相当危険な状態になっていたのにもかかわらず、それを公表しなかった。
それは、「変化」する時期を待っていたのだと
そう思えてならない。
情報操作?そんなことは絶対に許してはならない。
どう考えても多くの人の命や、子供たちの将来にリスクを背負わせて、経済発展していくことなど多くの人が望んでいるとは思えない。
僕はそう願っています。
しかし多くの人が気が付かないように、気が付かれないようにこっそりとそういうシステムを作り上げる。
民衆を刺激しないようにこっそりと。
今回の情報の遅れも反原発の世論が高まるのを恐れてのことではないだろうか。
そしていつの間にか僕らは「変化」し
命という大きな犠牲よりも、
「電力が足りなくなってもいいのかい?」という目先の論点にすり替えられ、
原発は必要なのかなぁというボンヤリとした考えをこっそり植えつけられ浸透させられていく
だからぼくらはそのことに注意深くあらなければならない。
強く反発しなくてはならない。
そのことに慣れてはいけないし。
目をそらしてはいけない。
他人に選択を預けてはいけないし。
責任を放棄してはいけない。
声を上げ続けなくてはならない。
僕らで変えていかなくてはならない。
休日、久しぶりに子どもとたくさん遊んだ。
こいつらに背負わしたらダメだ。
と強く思った。
休日はお父ちゃんのパスタ。
今日はカルボナーラ。
この後キムチと海苔を添えて。
絶品☆
未体験の方は是非試してみて。キムチカルボナーラ。
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