no.83 それ、考えたって仕方なくない?? | 女性が「笑顔」で過ごせれば世の中すべてうまくいく    〜自分とのつきあい方わかるきっかけになるブログ〜

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家族・恋人・友人そして自分とのつきあい方がわからなくなった時少し、気持ちが楽になる・・・そんなブログを日々更新中

 

最近、友人が亡くなりました

 

ってか亡くなっていたことを知りました

 

何だか不思議ですね

 

実際に亡くなったのは1年近く前だったんです

 

事故でした

 

友人だったら連絡ないの?って思うでしょ

 

友人とはいえ

 

形は様々で頻繁に連絡を取り合うでもなく

 

数年単位で

 

元気?の生存確認程度です

 

頻繁に会う『知り合い』もいれば

 

数年に一度くらいしか会わない『友人』もいるもんです

 

友人の友人の友人を通して

 

最近知りましたww

 

最後の連絡は

 

友人の亡くなる半年前

 

お疲れさん!もしかして入院した?って

 

私が入院することを知ってのライン

 

どしたん?大丈夫か?って

 

その言葉の後に電話がかかってきました

 

でも出先にいた私は

 

ごめん!今、出先なのー

ちょっと子宮とってくるー

 

それが最後のやり取りでした

 

その半年後に友人は亡くなり

 

さらに1年間は私は友人が亡くなったことも知らずに

 

フツーに日常を送っていました

 

学生時代の友人って

 

連絡しない時間の方が長くて

 

会ってる時間の方が短くて

 

でも大切な友人だったりしませんか?

 

数年に一度

 

お互いの気まぐれで近況報告して

 

どーしようもない不真面目だった若人が

 

会うたびに少しづつ大人になって

 

ちゃんと大人のちょっとした生きづらさなんかを共有して

 

またそれぞれの【今】に戻る

 

私なりにとても良い友人関係を築いていました

 

でも

 

そんな友人の【死】を知らずにずっと笑って生活していました

 

不思議ですよねw

 

この年になれば

 

それなりに人の【死】を経験します

 

そのたびに

 

当たり前に目の前にいた人がいなくなることの

 

不思議さを感じます

 

職場の悩みをたくさん話して

 

新しい仕事に燃えて

 

目を輝かせて未来を語っていた友人の【死】

 

家族が出来て

 

責任が増えて

 

仕事も増えて

 

収入も増えたのに

 

税金も増えて

 

何のために頑張っとるんかわからんくなる

 

そうぼやいていた友人の【死】

 

仕事は大変やけどおもしろいぞ

 

まぁこうやって麻雀しとるのも面白いけどな

 

大人のカッコよさといい加減さをみせてくれた

 

私よりちょっと大人だった従兄の【死】

 

もちろん

 

私の父の【死】

 

人が死ぬと

 

良く聞くのが

 

あの時あーしてあげればよかった

 

もっとたくさん会っておけばよかった

 

っていう

 

してあげられなかったことへの後悔の念

 

会わなかったことへの後悔の念

 

例えば

 

最後の日

 

大切な人が

 

出かけて

 

生きて帰って来なかった

 

そんな日の

 

引き止めればよかったの後悔とは

 

全く違うものね

 

最後の日の自分がその人の生死に

 

直接関与出来たかもしれない

 

そんな時の後悔は

 

たぶん一生引きずると思う

 

でもどうしようもないものだから

 

引きずりながらも前を向くしかないと思う

 

でも

 

直接関与してなく

 

その人との関係性の中での後悔って

 

なんでするんだろ??

 

正直に思うのね

 

良く言われるよね

 

明日があることが当たり前と思うな

 

大切な人には会いに行け

 

好きな人には好きって言え

 

ありがとう

 

ごめんね

 

だいすき

 

それ、どこまで広げるん?

 

私にもっとできたことあったはず

 

それ、どこまでひろげるん?

 

広げて出来なくてまた悔やむん?

 

で、本当に大切な人は見えてる?

 

家族には言ってるでしょ?

 

こどもに

 

大好き たからもの ありがとう ごめんね

 

もしそれが言えてないなら言えばいいよ

 

こどもが産まれた日からたぶん1度も

 

伝えなかったことない

 

ってか

 

伝わらなかったことないと思う

 

確実にこども達は両親からの愛を疑わずに成長してるし

 

私たちもこどもから愛されていることに微塵の疑いもない

 

だったらそれでじゅうぶんじゃない?

 

 

あとパートナーにもね

 

一緒に時を経ているんでしょ?

 

でもね

 

私の場合

 

親はそこに入らない

 

なぜなら

 

私が家族だった時

 

(もちろん今も家族だけど・・・わかるよね?)

 

充分の愛をもらったから

 

こどもの頃に不足していたと思った分も

 

大人になってから充分にもらったし

 

私も充分に返したし

 

お互いの信頼関係は【死】なんかで崩れない

 

そして今

 

自分の家族とも【死】なんかで崩れない関係を築いている

 

これは

 

きっと広めようもないものなんだと思う

 

だから

 

大切な友人や恩師なんかにまで広めなくていいと思う

 

きっとその人にはその人の

 

【死】で崩れない関係がある

 

そして

 

私たちだって【死】に慌てなくていい

 

大切な時間を共に出来たし

 

その時間は

 

確実に【自分】の中に取り込まれていて

 

それが

 

笑顔や

 

優しさや

 

誇りや

 

勇気や

 

自信や

 

真心に

 

成長している

 

要するに

 

自分がちゃんと【今】を生きていれば

 

大切な友人も私の中で生きている

 

逆に

 

生前にしてあげられなかったと悔やむ時間があるなら

 

自分に集中すれば?って思う

 

想い出にありがとういえば?って

 

その自責の念って

 

裏を返せば相手に失礼な気がしちゃうんだなぁ

 

なんかね

 

自分の罪悪感に対して

 

後悔を口にして免罪符にしようって

 

そんな風に思えちゃうの

 

だって

 

全員になんて不可能なんだもん

 

だからね

 

まぁ

 

何を言いたいかっていうとね

 

こんなに長々書いといて

 

別にないんだけどね

 

もし

 

私が死んで

 

それに気づかなかったとしても

 

気づいたときに

 

思い出を楽しんで

 

ちょっと不思議な気持ちに浸ってくれたらいいよ

 

もし可能なら

 

友人なんかに

 

死んだらしいよ~って伝えて

 

過去を笑顔で整理してくれる人を少しでも

 

増やしてくれたら嬉しいな

 

でね

 

もし

 

私があなたが亡くなったことに気づかなくても

 

気づいたときには

 

ちゃんと思い出を咀嚼して

 

ちゃんと私の中であなたの居場所をつくっておくから

 

安心してね

 

ちょっと泣いたり

 

不思議な気持ちがしたり

 

定期的に思い出したり

 

わたしがわたしを生きているうちはね

 

でも

 

わたしが死んでも

 

わたしのことを思い出してくれる人の中に居場所があるって

 

そーゆーことだから

 

まぁ

 

ちゃんと

 

私たちは繋がっているということです

 

LOVE わたしの大切なひとたちドキドキ