いつも友田宗也のブログを読んでいただきありがとうございます。

本日は、ご支援いただいている皆様、関係者の皆様に友田の政治家としての活動について、ご報告をさせていただきます。

先日の2月13日(月)をもちまして、日本維新の会の藤沢市議会議員選挙公認候補予定者を辞退いたしました。

また、併せまして神奈川県維新の会に離党届けを提出したことをご報告させていただきます。


県連からのご連絡、発表があった後に、公表しようと考えていました。党関係者の限られた人にしかお伝えしてませんでしたが、どこから話しが漏れたのかはわかりませんが、すでに藤沢市議会の他党議員や、他自治体の議員に知られてしまっていました。

また、本日、地域紙にも藤沢市議会議員選挙における日本維新の会公認候補は2名との記事が出てしまいましたので、本日のこのタイミングで公表させていただきます。


公認辞退、離党の理由は様々あります。

36議席の藤沢市議会においては、日本維新の会で3名の候補者擁立で全員当選は無理があることは、選挙区の情勢をみれば明らかでした。

とくに、藤沢市議会議員選挙の投票率は県内最下位(全国的にも低い)36〜37%前後であり、議席の確定枠を差し引きますと、空き議席数は6〜7議席ほどとわずかです。が、一方で、50人以上が立候補する激戦区となります。(類似団体である横須賀市の議席数39で維新公認候補予定者2人、町田市は議席数36で維新2人です)


今回、維新では現職の私のほかに、新人2人が後から公認候補予定者となりました。

そのうち新人のお一人は、少し前に遠方から越してきたばかりの落下傘候補であることから、地縁も人脈も選挙を手伝う人手もないため、支部長が丸抱えしなければ事前の活動から選挙本番までもが戦えない状況です。


私としては、公認選定において、このような状況となることは想定外でした。

ここは党勢拡大には1番経験のある私が、自力で頑張るしかないと考えました。


私は、現職3期、これまでも無所属で自力で勝ち上がってきました。こうした理由から、私が日本維新の会公認ではなく「推薦」となれば、新人2名は維新の票を集められることで、当選確率を上げることが出来ますので、推薦に変更したい旨を県連代表と幹事長にお願いにあがりました。

しかし、推薦候補の場合、党を掲げた活動(維新旗、機関紙配布、維新の役員の写真を使用した2連旗やポスター)の使用は出来ないが、公認と同じ縛りは課せられるとの事を、県連からご連絡いただきました。政党を掲げた活動は出来ない、支援はない、自由度はないという、非常に厳しい選択をすることとなりました。

こうしたことを、支援者と相談し、総合的に考え、無所属に戻ることを決意した次第です。


まず、私は地方議会に「数ありき」で候補者を出すことには反対です。地方議会こそ、地域課題をしっかりもっている候補者が議員となる事で、住民福祉の向上、地方政治への信頼、党の発展と足腰強化に繋がると考えています。

基礎自治体の地方議会では落下傘候補はそぐわないと思っております。

これはかつて、みんなの党のブームに乗っかり数多くのみんなの党地方議員が生まれましたが、解党後の統一地方選挙において、生き残ったみんなの党出身議員は、私を含めてほんのわずかであり、落選した議員の多くが低い得票数でした。その中には落下傘で議員となった方々もおられます。

日本維新の会には、みんなの党の二の轍を踏まないで欲しいという想いがあります。


また、現職の維新の地方議員がいる選挙区には、新人の候補者選定の際に意見をきくなり、選挙区情勢を確認していただきたかったと思います。


2011年統一地方選挙藤沢市議会選挙区では、みんなの党公認候補は4人出し、2人しか通りませんでした。当然ながら、浮動票頼みですから票割れとなり、2人しか通らない結果となりました。


今回、維新の会で3人が出れば、最悪で1人しか通らない。しかも現職が有利です。候補者は全員が人生をかけて挑戦してます。堅実に議席を取るべきであり、とりあえず、数を出せといった戦略には賛同できません。


その上で、離党の理由について付して県連に書面を提出しましたことをご報告いたします。


この際、松沢成文参院議員には、親身にご相談に乗っていただきまして、感謝申し上げます。

また、水戸まさし支部長には、公認辞退にてご迷惑をおかけすることとなり申し訳なく思いますが、ご理解に感謝申し上げます。日本には自民党に対抗できる勢力をつくる必要があります。無所属の立場に戻ることになりますが、以前同様に、引き続き国政での日本維新の会への支援と協力をさせていただきたいと考えております。