少し前に仙台に行ってきた。震災後はじめて。 淡々と淡々とその時の状況、その後の状況を語る彼。 それについて知っている人にはわかる。 ものすごいことが起きたのだと。 テレビに出て知っていた。知識として状況は知っていた。 でも、改めて映像と共に当事者の口から聞くと 何も理解していなかったことに気づいた。。。 こんな時期にもかかわらず、来てくれて嬉しいという。 また是非来てくれと言う。 被災地は行ってはいけないのかと勘違いしていた。 苦しみ、無残な姿は、興味本位では見てはいけないのかと。 でも、彼女は言う。来て、見て欲しいと。 ありのままを見て、そして、感じて欲しいと。 そして店にも入って欲しい、話しかけて欲しいとも。 なんでもいい、ガソリンを入れるだけでもいいからとも。 ただ、瓦礫を前にしたピースサインだけは、やめて欲しいとも。 そう。是非行かなくてはならない。 そして目に、体に、心に刻まなければならない。 理不尽な自然の力、そして、人の心を。 効率主義と杞憂。 津波の到来には地震学者が東電に何度も忠告したという。 そう、貞観地震とそれによる津波のこと。 せめて非常用発電設備さえ対処しておけば、ここまでならなかった。 でも、彼らがしたことは、嘲り。 歴史的研究であって、そんなの在任中に起こりえないという, 根拠のない自信。 そういえば、仕分けのとき、 100年に一度来るか来ないかわからない災害、 それに備える滑稽さがテレビで散々流れた。 そう、起こらなければただの無駄遣い。こちらも嘲笑の的。