先月、車に乗っけた友達が🚙


「読んで面白かったから、あげる~😄

気が向いたら読んでー👋」


と、ポーンと置いていった本📙「ぎょらん」



彼女いわく、「蟲師ってマンガ知ってる?あれに似た感じを、私は受けてね。面白かった。」とのこと。


その言葉に

興味が出たものの…


もしかして…少しグロテスクなのかな🤔?…と尻込みする気持ちと


結構、分厚かったので…(^^ゞ💦


( ^^) _旦~~置いといてました😅




そして…先日、

ちょこっと、2章くらいまで読んでみたら…


描写が何ともリアルで💧内容も…私には、心が痛い。


一旦、読むのをやめちゃったんです(^^ゞ


再びリビングに置かれた本を見た👀旦那さんに「何読んでたの?」って聞かれ、かいつまんで話しました👇


死者が、死に際に

手のひらや、口の中に残す赤い珠が「ぎょらん」っていうらしい。

その珠には、最期の願いや感情が宿っていて、噛み砕くことでそれがわかるものなんだって。


そんな漫画があって…その漫画を読んだ主人公?のお兄ちゃんが、親友の「ぎょらん」を食べて…引きこもっちゃッてる…って話から始まるんだよね。


ショートストーリーみたいなお話の中で、いろんな事情を背負う登場人物が、それぞれに向き合う死があってね


そこで"ぎょらん"と様々な形で出会っていくみたい。


短編のような登場人物はさ、次々に繋がっていく感じなんだよね…。



旦那さん、

「面白そ〜😳✨それ!最後まで読んでさ、ストーリーだけ、聞かせてよ😁」🤣🤣


・・・(;^ω^)


かくして…読書タイム再開〜🤣🤣🤣





後半、グイグイ引き込まれて


目は👀ショボショボになりながら(^0_0^)💦久々に😁夜更かしして🌆

一気に読み切ってしまいました😁




50を過ぎ 私も、

近しい人を、幾人もお空へと見送ってきました🪽


その度に感じていた

死んだ人との

"境界線"。



その境界線は


"時間軸"の違いでもあると感じています。



留まることのない

生きている側の時間軸は


否応なしに進んでいく"現実"でもある。



そんな死者とは別の"時間軸"の中で、


ふとした瞬間思い出す 故人と共に過ごした時間。


日常の中に

突然現れる


時間が舞い戻ったかのような"接点"。


その"接点"で、様々な思いと向き合い


時には、自責の念にかられながら

私達は生きている。


そんなことを

改めて、反芻(はんすう)するような思いで読みました。



作品を読み終えて 


"ゆるす"って

なんなんだろうな…


なんてことも考えたり。


自分自身も、人も

"ゆるす"ことが

難しいって時があるよなぁ…と。


「ゆるせない」という明確なものじゃなくても


"わだかまり"が残ることってあるな…と。


その"わだかまり"って

自身に向けて

或いは、他者に向けて"憤り" "怒り"を感じているってことなんだよな と。


その"憤り"や"怒り"の根っこは、傷。


そして、傷の底には

"悲しみ"がある…。


だから、傷が深ければ、深いほど"ゆるす"ことが難しいのかもしれません。


そして、"ゆるせない"ことが、一番苦しいのは


多分、自分自身なんですよね。




いろ〜んなことが

ゆるせる大人になりたいなぁ…と思います😊(もう歳だけは立派なんですけどね💦)



今回は

久々に厚い本を読んで


ちょっと🤏頭の整理をしたくて…の徒然😁


長くなっちゃいました(^^ゞ💦




お付き合いくださり

ありがとうございました🙏🍀📚




良い日曜日を🍀



おまけ📸
昨日は、四女義姉からもらった生もずくで、揚げ焼きをしました😋
コーンとシーチキン入り〜😁👍もずくは、水分がお多いので
天ぷらだとべちょっとしやすい💦でも、衣少な目の揚げ焼きにすると、表面カラッと美味しくなります💕


義姉が「おまけ」で付けてくれた、パパヤーシリシリ〜(青パパイヤの細切り)。イリチー(炒め)で美味しくいただきました🙏🥢😋義姉の"愛"いっぱいの食材に満たされた食事でした🤭🍀感謝🙏🍀