前回のブログです。

良ければこちらからご覧ください。




六月に母は抗がん剤の薬を変えた。

去年からやっていた抗がん剤は効かなくなったため。



強い薬はやりたくない、

髪の毛はもう抜けたくないという母であったから

強すぎない抗がん剤を始めた。



しかし、これを機に体調を悪化させた。

下痢、嘔吐が続き、二週間は入院した。

ベッド上での生活が続き、

足があまり上がらなくなった。



旅行に行きたいという母と私達家族と父母、

兄家族で7月21日に旅行へ行った。

ゆっくりしか歩けない母や、身体が以前より痩せ細っている母をみて、すごく辛く苦しくなった。

痩せ細った母から目を背けたかった。



こんな状態で抗がん剤をして欲しくなかった。



旅行の帰り、買うものがあった母は駐車場内で

転倒した。縁石につまづいてしまった。

血小板が低いので血が止まりにくく、左手首から肘まで出血していた。

左足も違和感あり、立てなかった。



救急搬送され、病院へ行った。

左足の違和感は広範囲の内出血だった。

骨折はなかったことがわかり

ホッとし、みんなで自宅へ帰った。



多発性骨髄腫なのに、骨が強いことに驚いた。



それから、抗がん剤、輸血のために、

月から木曜まで入院、週末は退院した。


退院時は、私が迎えに行った。


私への申し訳なさからか、

ランチをしたときに奢ってくれたり、スーパーに寄っては私の家に何かおかずを買ってくれ、

7月の終わりは土用の丑の日用に鰻をくれた。


父には必ず、大好物のお刺身を買ってあげていた。



心から家族のことを考えてくれる母だった。




8/11 父の会社からみんなでご飯でも…と、

お小遣いをくれたらしく、私達家族を誘ってくれた。


そのときも多くは食べれない母、途中背もたれが必要なほど、体調が完璧ではない母がいた。



でも、楽しそうに、嬉しそうに孫達を見つめていた。



次の日に抗がん剤のために入院したが、

風邪を引いた。連絡が返ってこなくて心配し、見に行った。

そしたら、吐き気があり、面会できなかった。


白血球が低い母は風邪が一気に悪化し、

肺炎になってしまった。



酸素が8ℓになり、医師から呼ばれた。

朝には危ないかもしれない…

駆けつけたときは穏やかな顔をして眠っていた。


私達に気づき、

『どうした?大丈夫だよ。もう寝るから帰りな』と。


本当に大丈夫そうな表情をしていたから

間も無くして帰宅した。



抗生剤をし、酸素量は日に日に減っていった。





また続きます

③へ