★関西地方 京都府のパワースポット★
さてさて、ツアーの報告が先になっちゃったけど
その前に、私は前のりして京都観光をしておりました~。
・・・というわけで
京都にきて最初に訪れたところ。
この神社に関しては、ツアーで報告しちゃったので
同じことや、前後しちゃう表現もあるのですが
一応、行ったとき、メモしたままお伝えしますね。
木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)へまいりましょ~。
御祭神
天御中主神
大国魂神
穂々出見命
鵜茅葺不合命
住所
京都府京都市右京区太秦森ケ東町50番地
もうそろそろ・・・
名前覚えていいんじゃないかと思うんだけど
ええぇ~っと・・・
思いだして名前を言おうとすると
このしま・・・あまてらす・・・みたま・・・のじんじゃ・・・?
だっけ??
みたいなことになってしまう。(笑)
このしまにますあまてるみたまじんじゃ
・・・って
え?ここ?って感じるような
住宅地の中にある神社。
京都の町にある神社は
どこにいっても、人にあうけれど・・・
ここは、さほど町から離れているわけじゃないのに
観光地らしさ、ゼロですわ。
駐車場もないくらいだよ~。
(私は近くのコインパーキング入れたけど)
平安時代末期は、伏見稲荷大社 、石清水八幡宮 と同じくらい
参拝者が多かった神社だと伝えられているそうですが・・・
その面影は、今は・・・ないですねぇ。(笑)
そういえばさ・・・
木嶋坐天照御魂神社という名前なのに
御祭神は、天之御中主神なんだね~。
天照大御神じゃないんだ・・・と思ったら、
本来はね、天照御魂神(あまてるみむすびのかみ あまてるみたまのかみ)
という神様をお祀りした神社とされているそうだよ~。
ちなみに、あまてるとは
天照大御神(皇室の祖神)とは別で、その土地土地で祀られていた
自然神としての日の神、太陽神と考えられているんですって。
そういえば・・・阿麻氐留神社(あまてる神社)って
対馬にあったよ~。
はぁぁぁ・・・。
「続日本記」大宝元年4月3日の条に、神社名が記載されていることから、それ以前に祭祀されていたことがわかる古社である。
この嵯峨野一帯は、古墳時代に朝鮮半島から渡来し、製陶、養蚕、機織などにすぐれた技術をもっていた秦氏の勢力範囲で、当神社本殿の東側には織物の祖神を祀る蚕養神社(こかいじんじゃ)(東本殿)があり、蚕の社もそれにちなんだ社名である。
この神社は、古くより祈雨の神として信仰が厚く、参詣の人も多かったことが平安時代に書かれた「日本三代実録」や「梁塵秘抄」などの文献からうかがい知ることができる。
社殿は明治以後のもので、本殿、東本殿、、拝殿などあり、社殿を取り囲むように巨樹が繁茂している。
本殿の西側には四季湧水する「元糺すの池」という神池があり、天保2年に再興された京都三鳥居の一つとされる石製三柱鳥居が建つ。
例祭は、毎年10月10日が行われるが、夏期土用の丑の日には、この池に手足を浸すと諸病によいという庶民信仰がある。
市内でも最古に属する当神社は、境内から清泉が湧き、巨樹が繁茂して古来の姿をよくとどめており、京都発展に大きな役割をはたしてきた秦氏との関連を含め、大変貴重なものとして昭和60年6月1日に京都市の史跡に指定された。
稲荷社があるよ~。
ちょっと、ただならぬ気が・・・。
あとあと、お参りしてみたら
中にはいくつもの社があって・・・
一番大きいのが
左手の半地下になっている白清社。
まるで、洞窟に入っていくような雰囲気。
稲の神様という私たちが良く見る稲荷社とは
ちょっと気が違って・・・、厳かなズンとした気・・・。
全体的に明るい雰囲気~という感じではなく
畏れ多い、ちゃんとピシッと心を引き締めてこなくちゃ・・・
というところ。
調べてみたら、秦氏と関係のある天塚古墳から
このお稲荷さんはいらしたそうで
天塚古墳は、今でも伯清稲荷大明神の神域なんですってよ~。
秦氏のお墓をお守りしていた稲荷社だから
かなり厳かな力をもっていらっしゃるのかしらね。
さて、屋敷のような建物。
神楽殿・・・かな?渋いなぁ。
あ、空気が変わってきました・・・。
なんといえばいいんだろう?
この先が、暗いのよ~。
暗いって、悪いって意味じゃないよ。
現実的に、鬱蒼としていて、一気に光が少なくなるの。
雰囲気のある言葉でいえば
荘厳とか、厳か。
さっきから、ふわりと風が舞う、木々の深い香りがする。
鳥居の前の現実世界から
随分遠くへやってきた感じ。
大きな神社ではないのに
きました~きました~。
天照御魂は、太陽神。
この木嶋神社では、天御中主神の別称というか
同じ神様とされているんだね。
左手には、いくつもの神様が
ご祭神は、保食神、蚕の神、木花咲耶姫命
あ、ここは全く違う気!!
くるくる~くるくる~
ふわりとやわらかい気で、女性の神様という雰囲気だよ~。
木嶋神社は、男性的、蚕養神社は女性的。
男女の神様らしい個性的な気です~。
ん??灯篭の両脇にある大きな石
ここにはもう一つ、鳥居がありますよ~。
くるくるくる~くるくるくる~
パーっと開けたような天と通じる光
風がぶわーっと舞い、木の葉がヒラヒラ~
その度、おぉぅ~ブルブル。←気持ちがいい身震い。(笑)
神風だぁ・・・。
上昇がすごい力・・・というか
あるがままの天の広がり
本当に、宇宙、太陽をイメージするところ。
自然界のかなり高いエネルギーが
鳥居から全体に広がっていて・・・すっごい所だよぉ~。
軽い波動なんてもんじゃなく、
高く清らかで全部透明、光に生まれ変わる感じ。
これが、天照御魂の光
天之御中主神の力なのかな・・・。
・・・畏れ入りましたぁぁ~ハレヒレフレ。
それにしても、この鳥居、三ツ鳥居というらしいけど
私、初めてみた形。
三つの鳥居が合体していて
その真ん中に神籬となる石が積まれている。
この鳥居の指す方向は、冬至の方向、稲荷山・松尾山
夏至の方向、比叡山
四明岳、愛宕山
へ向かっているそうで・・・
ここは、かつて元糺の池(もとただすのいけ)という
豊富な湧き水が流れていて、神池となっていたそうなの。
水で、身を清めて、罪穢れを祓うところで
今でも、御祭りの日は人工的に水をいれるそう。
ここ一帯の森も、昔は糺の森(ただすのもり)と呼ばれていて
平安時代に、物忌みの場とされていた木嶋神社が
下鴨に移り、下鴨神社の森が、糺の森と呼ばれるようになったんですって。
木嶋神社では、区別するために
元糺というそうだよ~。
なんと!ここが、下鴨神社の糺の森の元だったんだね。
今は、水はどこへやら?
時代とともに、湧かなくなってしまったんだね~。
残念だけど、でも私が境内で感じていた
水の気というのは・・・
もしかしたら、本当にこの神社は
水の気にみちていた社なのかもね。
この鳥居の意味って、
秦氏と関係する、双ヶ丘 、松尾山、稲荷山に向いている遥拝所とか
冬至、夏至など太陽が通過するため、日の神様を遥拝、お祀りするところとか
いろんな説があるそうだけど
私が今感じているのは・・・
鬱蒼と茂る樹木に覆われながら
崇高な天の気、とっても高い宇宙と通じる広大な光。
ここに清らかな水が湧き出ていたのなら
それはそれは幻想的な所だったろうなぁ・・・。
天、宇宙の光、エネルギーを地上にもたらす所
水はその場の気を鏡のようにそのまま映し出すから
この場所は、荘厳な空気に包まれながら
広大な天を祈る、天と通じる場所だったのかなぁって。
水が湧く地で、天からの恵み水(雨)を祈る場所でもあり
同じく、太陽の光と通じるところ。
自然と人々の生活を守る、祈る場でもあったのかなって感じました。
しばらくしたら、この場所の気は普通に戻り・・・
いつもここに神様がいらっしゃるというよりも
普段はとても高い所にいらっしゃる・・・
神様と通じる遥拝所という感じがしたよ。
・・・っというわけで
ここは、小さな境内ですが、
木嶋坐天照御魂神社、見逃せない神社です。