★宮古島のパワースポット★
つづいては~
これまた、道路を走っていて
偶然みつけてしまった、
こんもりした山の入口にある鳥居。
まるで、古墳のよう。
見るからに
なんか、強そうだけど・・・。(苦笑)
っていうわけで
ご縁をいただいた
西銘御嶽で~す。
うおぉぉぉおぉ・・・・
道に入ってくると
ぐる~んぐる~ん
ななな、なんっていう強い力。
巨大な力で押しつぶされそうなほど
男性的な勢いあるパワーだよぉ~。
はぁ、すみません。
すみません。
近寄れません、ごめんなさい
そういいたくなる聖地。
権力者のような、なんか武士ともちがうけど、
とにかく勇ましく厳しい力で、
間違ったら吹き飛ばされそう。
これは
近づけませぬ。
無理でござる。
ずっと遠い場所から、
頭をさげました。
すみません、
ありがとうございました。
それしかいえない
それ以上のことはつたえられない。
頭や身体を押さえつけられるような、
ずーーーーんとしたパワーでした。
これはまず本土ではない。
ありえない。
本当に厳しいというか、重量感がある聖地です。
後で調べてみたら
案内版がありましたよ~。
西銘御嶽
地元では、炭焼長者の伝承にまつわる御嶽として知られている。
貧しい炭焼太郎は、神託によって野崎村長井の里の真氏をめとり
富貴をきわめて村人にしたわれた。
御嶽は、その住居跡だというのである。
北方は、要害堅固な断崖で海に面し、
北西方は白川浜へを望む丘陵上にある。
崖下には、サガリガーやカナギガーとよばれる泉が湧き、
御嶽をかこう一部には、城壁にみたてられる石垣が遺っている。
なだらかなスロープでつづく西方一帯の畑地からは
広範囲にわたって青磁片、南蛮陶片等が表採でき
かなり大きな規模の集落のあったことを物語っている。
郷土史家のなかには、西銘地方の支配者として
勇名をはせた飛鳥爺の居城西銘城は、はじめこの地であったが
手狭なため、後に今の飛鳥御嶽の地に移ったのだろうと、
説く向きもあるが、さだかではない。
とのことです。
まぁ、一気に近寄らず
ちゃんと、距離をもって、様子を感じてみてくださいね。(笑)
・・・っというわけで
パワフルな宮古島でした。
また次回行ったときに
新しいスポット、どんどん御紹介しますね~。