いとうともえの煩悩全開のーと。

いとうともえの煩悩全開のーと。

ぜんかいでいきましょう。



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言葉の力は侮れません。

 

一度声に出したものは

虚空へと消え去るのではなく、

きっと、何かしらの形で

いつか自分のものとなります。

 

声に出してすぐ

返ってくるものもあれば、

言ったことすら忘れた頃に

ひょっこり出てくるものもあります。

まるで呪いのようにまとわりつくものも。

 

 

 

 

いとうともえです(。・ω・)ノ゙人を呪わば

 

 

 

 

なまじ言葉に思いを託すことが

できてしまうばかりに、

無用の悲しみを味わってしまう

こともあります。

 

反対に、どう頑張っても

言葉にすることができない思いも

また存在します。

 

 

 

自分の感覚、特に“違和感”の扱いは、

本当に難しいと感じています。

 

その感覚を信じていいかどうか

私には判断できません。

 

違和感は、

疑問と違って伝えるのが難しい。

 

後々になって

あの時感じたものはこれだったのか」

と、まるで、

ごくごく小さな腫瘍が

いつの間にか膨れ上がって

事の重大さを知るような……

そういう恐ろしさを孕んでいます。

 

普段から凪いだ心で過ごしていれば、

わずかな波にも気がつくでしょう。

 

些細な変化にも気がつき、

周囲をよく見渡していられます。

 

しかし、

普段の心が波立っていたり

靄がかかっていれば、

些細なことはおろか重大な危険にさえ

気づくことはできないはずです。

 

自分の心が発する小さな信号。

その信号に気づくことができたら、

次はその小さな小さな信号が

“何と言っているのか”

読み解く時間が必要です。

 

私にはもっと

時間が必要なのかもしれません。

 

我ながら恐ろしいのは、

解析不能な違和感が積み重なると

すべてを壊してしまいたくなるのです。

 

6割7割積み上げてきたものでも、

0にしたくなる衝動に駆られます。

 

だからなるべく

解析を怠らないことが肝要です。

 

こうして意味のない記事を長々書くのも

自分の脳内を見える形にして、

整理したいから。

 

あ、今唐突にポップコーンが

食べたくなりました。

今度映画館に行こう。

 

 

 

ようは最近、

心の整理が必要だなと感じることが

あったわけですが、

私は、府中に行く用事があると

大國魂神社へ立ち寄ります。

 

昨年の初詣でしたっけ、

あ、今年でしたっけ。

初めて訪れてから、

お気に入りの神社のひとつです。

 

自分にはできない、という壁。

このままでいいのか、という違和感。

 

時々起こる、

足元が波打つような不安な気持ち。

 

お参りした後、

落ち着かない心の拠り所を求めて

おみくじを引きました。

 

追いうちをかけるように

凶が出たらどうしよう……

なんて思っていたら、

大吉でした。

 

その時、雲の切れ間から

太陽が顔を出しました。

まるでそうすることが決まっていた

演出のようでした。

 

温かな日の光につられて、

私の顔は自然と上を向いていました。
 

おみくじも侮れません。

こんな紙一枚で心が軽くなるんですから。

 

単純だなぁなんて少し笑っていたら、

神社を出てすぐに

嬉しいお知らせがふたつも届きました。

 

私のことを思い出してくれる人がいる。

心に留めてくれている人がいる。

手を差し伸べてくれる人がいる。

 

なんと幸福なことでしょう。

 

心ここにあらずだったのに、

心が戻ってきたような感覚でした。

 

神社に入る前の私と

出た後の私は、

別の私でした。

 

 

大國魂神社にあるような大きな木を

眺めていると、

彼らが過ごしてきた途方もない時間に

何も言えなくなります。

 

木はすごいです。

 

すごいですよね。

 

言葉で説明するのがあほらしいくらい

すごいです。

 

ここから木について書こうとすると

眠る時間がなくなってしまうので、

一旦止めておきます。

 

 

 

人は完璧ではない。

分かってはいます。

 

 

過去は変えられない。

分かってはいます。

 

 

そう簡単には変われない。

分かってはいます。

 

 

分かってはいるのですが。

 

 

 

ああ、

猿田彦さんのキャラメルラテが

飲みたい。

 

 

 

ごきげんよう。

 

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