脱退以前に日本の捕鯨文化を発信しなくては! | 「君を守る 私が護る」高橋とみよの政治ブログ

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元下田市議会議員 

 

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北海道の網走沖でのミンククジラ調査捕鯨=2018年8月23日(北海道新聞)
日本、IWC脱退方針 対立状態の打開困難 商業捕鯨再開目指す

(12/20(木) 10:42 北海道新聞)

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6307374#socialComments

私はこの組織を脱退することに、賛成いたします。
しかし日本政府が、世界に対しての発信がなさすぎるように思いませんか?
そもそも地球上の鯨を絶滅に追いやったのは、日本ではなく欧米です。

大がかりな捕鯨は11世紀、イベリア半島のビスケー湾を起源とします。
1560年代に最盛期を迎え漁場は大西洋にまで及んでいます。
当時鯨油のもたらす利益の大きさは、鯨の乱獲へ繋がっていきました。

1590年代になるとスピッツベルゲン島の漁場をめぐってイングランドとオランダが争い、捕鯨船は武装化し大きくなっていきます。
1630年代後半にはスピッツベルゲンの資源が枯渇し、漁場は北大西洋に移っていきます。

この頃の欧州各国の乱獲で、北大西洋のコククジラは絶滅します。

さてアメリカは乱獲による資源の枯渇から沿岸操業がかなわなくなり、
18世紀になると船を大型化し太平洋全域に漁場を求めます。
1820年代には日本周辺にもやってきます。日本周辺はきわめて資源豊富な漁場であり多くの捕鯨船が集まってきました。

アメリカ式の捕鯨というのは油を採取し他はすべて捨ててしまうという完全な商業捕鯨です。
捕獲した鯨を船上で解体し、皮などを釜で煮て油を採り樽詰めし、薪と水を出先で補給しながら最長4年位の航海を続けるという方式です。
鯨の肉・骨・その他、すべて海洋投棄します。このように当初アメリカは捕鯨の中継基地が日本に必要となったため、
日本に開国を迫ったのです。

オーストラリアなどは、1790年代頃にイギリスから送られてきた囚人たちに捕鯨をさせていました。
1833年までは鯨製品の方が羊毛を売るより儲かるという理由で捕鯨を産業としており、
オーストラリア周辺の鯨は、乱獲によって絶滅寸前までになったのです。
その後鯨油の代替エネルギーできてからは、捕鯨は衰退していきました。
儲からなくなったから、捕鯨をやめただけの話なのです。

日本の捕鯨はすでに奈良時代からあったようで、文献には「いなさとり」という捕鯨を意味する枕詞が出てきます。
江戸時代になると水軍から発生した鯨組という捕鯨専門集団が出現します。
鯨組は捕獲から解体、鯨油抽出・鯨肉塩漬けなどの他、農業資材や工芸品などの商品の加工までを行う数千人規模の巨大な組織になり、藩からの支援も受け商品は全国に流通しています。
多数の労働者を抱える日本の古式捕鯨は、共同体を大切にする日本の文化が育てたものだといえます。
捕鯨を生業とした地域には鯨に対する感謝から、鯨を祀る神社も多くあります。
捕鯨についても商業をベースにした欧米と、共同体の利益をベースにした日本とでは全く文化が違うということがよくわかりますよね。

日本の行っている捕鯨は調査捕鯨です。捕鯨の頭数もきちんと国際的に決められており、尊守しているじゃないですか!
オーストラリア、ニュージーランド、イギリス、アメリカ、オランダなどの反捕鯨国は、
自らが鯨を乱獲して絶滅させた負い目からなのか、現在捕鯨を続けている日本を目の敵にしているように思えます。

こういう事実を、しっかりと発信していくことが求められていると思います。
外務省、仕事しましょう。