お茶杓の銘は、「景仰大雁塔」。
薬師寺の亡高田好胤師の自作と、名前が筒の左にわずかに見えます。
先生のおば様が、西安などを話の楽しい好胤師に同行したときの茶杓だそうです。
現在の陝西省・せいせいしょうの省都・西安はかつて長安と呼ばれ、西周に始まり、殷から唐まで都として世界最大規模まで栄えた大都市。大量の食糧運搬が困難なことなどから、その後は隣の河南省で黄河下流の大運河の街、開放などへ都は移る。なお陝西省にあたる地方は長らく「秦」と呼ばれいたとか。
玄奘三蔵法師は、交流禁止の国禁を犯し、
孫悟空の旅物語にあるような困難な旅路の果てに天竺より多量の仏典を持ち帰り、翻訳したのだとか。それらが、中国大陸、朝鮮半島から日本に至る漢字仏教の礎となったようです。
そこで多量の経典を納めるための大きな塔が建造されました。
西安の大慈恩寺の大雁塔です。
七層から成り、記念の碑文について
二代太宗の「大唐三蔵聖教之序」 (しょうぎょうじょ)
三代高宗の「大唐三蔵聖教序記」
を大書家・「褚遂良・ちょ すいりょう」に書かせ、塔内に据えたのだそうです。
唐代に成熟した楷書の最高傑作とも言われるそうで、お手本して書いていただのが下です。
意味は難しく・・・・・。
「大唐三蔵聖教之序」
蓋聞 ~ けだし聞くところによると、
二儀有象 ~ 天と地の二儀には象形がある。
顕覆載以含生 ~ 天は全てを覆い、地は全てを載せることで顕かなように、生命を包含している。
四時無形 ~ 春夏秋冬の四時は形には表れないが、
潜寒暑以化物 ~ 寒暑のような現象に潜んで、物を変化させる。
是以窺天鍳地 ~ これをもって、天を窺い、地を臨めば、
庸愚皆識其端 ~ 愚者も皆、その一端を知る。
明陰洞陽 ~ しかし、陰を明らかにし、陽を洞しようとすれば、
賢哲罕窮其數 ~ 賢人哲人であっても、できる人の其の数は、窮まるほど希なり。
然而天地苞乎陰陽 ~ しかし天地の陰陽が苞まれ、
軸はここで終わってますが、
而易識者 ~ 人々が容易に知ることのできるのは、
以其有象也。 ~ 其の現象・形があるからである。
と続くようです。
いずれにせよ先の茶杓には、多量の経典の功徳がみなぎる聖地・大雁塔を訪れる事ができた喜びが凝集されているようです。