先月、私の母(80歳)が体調を崩したので広島の実家に様子を見に帰ったことがありました。熱中症だったようですが幸い重篤化することもなく、この夏はクーラーとポカリスエットの上手な活用を母に伝えておきました。その際に実家のノートPCで仕事をしていたときのこと(世の中便利ですね)、回復した母はテレビで大相撲を観戦していました。その日は幕下よりも下の段で優勝力士が決まったらしく、その力士のインタビューをしていたのですが、NHKのアナウンサーが力士に対して「〇〇さん」とさんづけで呼んでいました。大相撲の世界では幕下以下の力士はまだ給料が出ないそうですが、そんなわけでまだ関取として扱わない、「〇〇関」とは呼ばない決まりがあるようです。幕下以下の力士の人数が何人いるか知りませんが、おそらく結構な人数ですよね。それだけの若者(結構年かさの力士もいるようですが)の衣食住の面倒を大相撲という業界はみているわけです。こんな特殊な日本の大相撲、私はこのまま保守的に変わらないでほしいと思います。
今回なぜこんな書き出しをしたかというと、もちろん大横綱だった白鵬の日本相撲協会退職のことがあったからです。白鵬は退職して相撲を世界に広める活動をしたいとのことですが、そんなの後付けでしょう。相撲協会での立場が自分にとって良いものであれば日本相撲協会の大相撲のなかで大手を振って歩いていたはず、人間が所属する組織を抜けるとき、組織に対する不満が無いはずはないですよね。…私が毎週読んでいる週刊文春に、5月場所が終わったら白鵬は退職届を出すという記事がありました(文春はよく取材していますね)。退職の理由は白鵬が宮城野親方として活動を再開することがなかなか許されないこと、そして後輩力士の照ノ富士の部下の立場になることが決まり納得いかないから、とのことでした。かつての大横綱・白鵬のこの冷遇はおかしい、相撲協会は閉鎖的だという声がありますが、私はその見方は一方的、一面的だと思います。文春の記事にありましたが、白鵬は新人力士のスカウトが強引だったとのこと、それは良くないですよ。私は白鵬に「郷に入りては郷に従え」ということわざを教えたいです。
日本における大相撲は文化だと思います。スポーツではありません。大相撲は日本人がやりたいようにやればよい、外国人にとやかく言われる筋合いはないものです。白鵬がSUMOなる競技で世界に相撲を広めるのは好きにすればよいですが、日本では一部マニアには受けても、そんなものに多数の日本人がなびくはずはなく、全体的には上手くいかないでしょう。日本人や日本文化を軽く見てはいけません。…相撲協会理事長の八角親方が悪の権化のように言われたりしていますが、まあ人間が作る組織のトップなんて残念ながらそんなものですよ。「鯛は頭から腐る」ということわざ通りです。
弊社事務所近くのお寺の正門に、こんな貼り紙がありました。「急な雷や雨のとき、雨宿りしていってください」…冒頭に私が書いた、日本の相撲界は一人前ではない多数の力士を養っているという事、それは人生における雨宿りの場を提供しているという見方ができます。大相撲はいわばお寺なんです。そんな日本の文化を失礼ながら白鵬程度の人物が理解しているとは到底思えません。相撲をオリンピック競技になどと「寝言は寝て言え」ですよ。私の母含め日本全国のお年寄りが暇つぶしにテレビでダラダラ見るくらいの大相撲、その日本文化の維持を相撲協会にお願いしたいです。