最近、ここのブログに書きたいことが特にないなあと思っていましたが、そんな折にふと私が大学卒業後に働いていた会社(出版取次業、B社とします)のことをネットで検索してみたんです。B社は今は大手企業の子会社になっており、私と一緒に働いていた人はもうほとんどいないと思われます。検索結果の画面をスクロールするとその子会社のことの下のほうに、私がいた部署と多少関わっていた部署で同時期に働いていたAさんがnoteというサイト(今話題の兵庫県知事選挙にかかわった女性社長が自慢?を書いたのもこのサイトだとか)に書いた文章が出てきました。AさんがB社にいたころのことも書いていたので検索に引っかかったようです。Aさんも私と同様にサラリーマンをやめて独立して仕事をしているようですが、広く言えば今の私とおなじような出版業、B社時代にはお互い認識しつつもほとんど話したことはなかった間柄、今ならある種気が合うかもな…と思いながらそのnoteの文章を読んでみたのですが、そのB社の様子を描写する文章は私にとっては懐かしくもあり上手だなあと思いました。

 しかし、B社で働いていた人たちへのまなざしが冷たく、オレはこんな会社でくすぶっているつもりはないとの意識があったことを露わにしていました。結果として今独立出来て、Aさんは嬉しいんでしょうけどつい以前の職場の悪口を書いてしまうというのは文章の質としては高いとは言えませんね。…周りの人間はパワハラ・セクハラ気質にあふれ仕事以外では麻雀・パチンコ・競馬のことばかりで嫌になるとの描写に加えて、Aさんは本当は編集やマスコミ関連の仕事に就きたかったとも書いていました。政治経済や文学について詳しいことが上で、大衆娯楽・大衆文化を下に見ているわけです。私が今競馬を好きなのはそのB社の人たちに私も競馬を教えてもらって馬券を買い始めたのがキッカケです。競馬は知れば知るほど、たかがギャンブルと一言で片づけるにはもったいない世界です。文学を好もうと競馬を好もうと、それは趣味が違うだけでどっちが上とか下とかじゃないと私は思いますし、大衆娯楽に興味がない人間が編集やマスコミという仕事をうまくやれるのか、私はAさんがそのあたりの業界に就職できなかったのは大衆娯楽を下に見ているインテリ臭さを見抜かれたからじゃないかと、ちょっと意地悪なことを感じました。セクハラ・パワハラについては私も良いものとは思いませんが、人間社会の現象として仕方のないものとも思うんですよね。理想はそうだが現実はそうばかりではない、その狭間で何とか生きていくのが人間でしょう。…Aさんのこの文章は少々残念、私とは気が合わなさそうです。

 …と、Aさんについて批判的な文章を書いてしまいましたが、もしもそのAさんの文章が私にとってぜひ一度会って話したりしてみたいと思わされるような内容だったら、はたしてここのブログにそのことを書いていたでしょうか。誰かが素晴らしかった、凄かった、尊敬する、そんな文章は案外書くのが難しいような気がします。人間は他人の悪口や自慢が好きな生き物です。でもだからって他人の悪口を言ってばかりでは品がありませんし自慢も件(くだん)の女性社長が良い反面教師です。気まぐれに私が以前勤めていたB社のことをネットで調べた結果、Aさんの今の人生が知れたのは良かったですし、Aさん、以前の職場の悪口を書くのはどうかなあと言いつつAさんの批判を書く私です…というこのブログのネタにも出来ました。これからも気まぐれが起きたらそれに従ってみようと思いました。