夏が近づくと柚子を思い出す | 龍馬と夢紀行

夏が近づくと柚子を思い出す

中岡慎太郎は、現在の安芸郡北川村の大庄屋の子として誕生。

安政2年(1855)に田野学館での武市半平太との出会いが、

その後の彼が政治活動に目覚める嚆矢となりました。

 

その後に父が病に倒れ家業の大庄屋職を継ぐことになりますが、

武市が土佐藩の一藩勤王を掲げて「土佐勤王党」を結成すると、

慎太郎も坂本龍馬とともに加盟します。

 

ところが、2年後の文久3年(1863)に8月18日の政変が勃発。

この政変で事態は一変、各地で尊王攘夷派の弾圧が始まります。

土佐で身の危険を察した慎太郎は政変の直後に脱藩を決意。

 

脱藩後は、長州に身を寄せ、以後、石川清之助と変名し、

長州藩内で同じ境遇の脱藩志士たちのまとめ役となり、

さらに龍馬と共に薩長同盟の締結に尽力するなど、

多方面で活躍した土佐の偉人の一人です。

 

さて、北川村の庄屋見習いだった頃の若かりし中岡は、

塩代わりに防腐や調味料として活かすことができないかと、

北川村の農民に栽培を奨励して指導したのが「柚子」でした。

 

それが土佐で徐々に広まっていき、

現在、高知県の柚子生産量は全国シェア40パーセントを占めるまでに。

そして、そのうち1/4が中岡の地元・北川村で生産されているらしい。

巷説「桃栗3年、柿8年、梅はすいすい15年、ゆずの大馬鹿18年」と、

なかなか実を付けず栽培が難しいとされた柚子でしたが、

こうして高知県で実を結ぶことになり現在に至っています。

 

かつて、容赦ない日差しが降り注いたとある夏の日、

北川村の中岡慎太郎館前の茶屋で飲んだ「柚子サイダー」。

えも言われぬ喉越しの良さと美味しさに魅了されました。

 

それ以来、「柚子サイダー」というものを所望するも、

東海地方ではなかなか手に入らない代物であるようです。

 

今日は北関東や甲信越で30°を超えたところも多く、

初夏を思わせる日差しを感じさせられた一日となりました。

 

何故だか、こうした暑さを感じたり、夏を思うと、

いつも決まって「柚子サイダー」を思い出すのです。