格闘家のセカンドキャリアについて | 富平辰文 official blog Powered by アメブロ

格闘家のセカンドキャリアについて

 

なんかえらそうな題名にしましたが、そんなにかしこまった物、というかスペシャルな内容ではありません。

 

ここは「格闘家」ではなく「スポーツ選手」でも良いんですけど、スポーツ選手全般を語れるほど僕自身の引き出しも少ないし、そういった文書は割とあちこちにあふれている様にも感じるので、ここはあえて自分の土俵に限定した、

 

「格闘家」のセカンドキャリア

 

にして話たいと思います。

 

まあ特に格闘家だけに限った話しではないのですが。。

 

 

ちょっとここで大前提として、ここで言う「格闘家」ってのは何を指すのか、

 

そこの部分をちょっとだけ。

 

 

なんせこの格闘家っていうのは、他のプロスポーツ競技者と比べてかなりあいまいです。

 

純粋に競技だけで生活できる人はおそらくほんの一握りだし(特に日本では)、

なにしろ日本中に「プロ格闘技イベント」自体が乱立していて、一度でもお金をもらって格闘技の試合をした事がある、ってだけの人を「プロ」って呼んで良いのかどうかもかなり疑問です。

 

だから今回の記事の中では、「格闘家」というのをこんな感じで定義づけてます。

 

・プロ格闘技のイベントに、ファイトマネーをもらって出場し、

・継続的にそれを続け、

・生活の軸にその「格闘技」があり(ここが一番大事かも)、

・ほかの仕事をしていたとしても、あくまで「格闘家」であり続けるための手段として職についている。

 

そしてこの「格闘家」という定義、この終わり方と言うのもかなりあいまいと言うか、他のメジャースポーツと比べると区切りがありません。(その始まりはプロイベントでのデビュー戦になるんでしょうが)

 

例えば野球やサッカーの様に、ある一定の枠が決まっていて、下からの押し上げで年々入れ替わっていく様なシステムでもないし、自分で「引退しました」と宣言しなければいつまでも現役と言えなくもありません。

 

だからこそ、いつまでもこの「格闘技」に、悪い意味でしがみついてしまう人もいるし、映画「キッズ・リターン」に出てくるモロ師岡みたいな人、この業界にいる人なら結構あるあるのキャラです。(名作なので観ていない人は是非)

 

さて、まあ終わり方は曖昧にせよ、セカンドキャリアと言うのは必ず迎えるものであって、遅かれ早かれその選択を迫られるときはやってくるでしょう。

 

そしてこの「格闘家」のセカンドキャリアと言うもの、これは大きく分けるとこんな感じの3つになるんじゃないでしょうか。

 

1 今までの経験をいかした職業

 

(例:ジム道場経営、イベント運営、パーソナルトレーナー、等)

 

2 今までのつながり(コネ)を活かした職業

 

(例:スポンサーの会社へ入社、出資してもらい起業、紹介してもらった企業への入社、等)

 

3 全く新しい分野での職業

 

(例:資格を取る、自分で探した全く新しい職業への挑戦、等)

 

そして、この1~3は混ざり合った場合も多々あると思います。

 

僕の場合なんかで言うと、2と3が混ざり合った様な感じですかね。

 

 

さて、今回書きたかった事はこのセカンドキャリアについての考え方と言うか、現役の選手のうちにやって置くべき事柄、そのマインドの話です。

 

1、2、3、どれを選ぶか、それは個々の考えやタイミングが大きいので割愛しますが、そのどれを選んだとしても、

その前提で必要な事は、そこに向かうまでの「準備」です。

 

格闘家が引退を決意する年齢、これは個々に違いますが、幅を持たせて言うと大体20代後半から30代中ごろで決断する事が多いのではないでしょうか。

 

そして、セカンドキャリアに至るまでのプロセスを思い浮かべるとこんな感じになるでしょう。

 

 

引退を決断する。

新しい道を探る。

挑戦する。

 

 

さて、

 

これを見て違和感を感じた現役の格闘家、あなたは勘が良いです。

 

 

そうです。この上のチャートは、このままだとちょっと難しいものがあるんですね。

 

まず、

 

”引退を決意してから新しい道を探る”

 

これがとても難しい。

と言うかそれでは遅い。

 

単純に辞めてから何か新しいものに挑戦する、ってのも、そんなに簡単に見つけられる物でもないし、第一、格闘家として20代30代を費やしてきた人間は、はっきり言うと一般社会人としてのスキルはかなり低い状態です。(これは自分自身、最初は本当にたくさん恥をかきました)

 

そんな状態から、「次は俺は弁護士めざすぞ!!」とかっていっても無謀以外の何物でもないし、また、中々あたらしい生きがいや目標を見つけるのも、そこに至るまでにはそれなりの時間がかかります。

 

 

だからこそ、この”新しい道を”は、現役選手のうちから探す必要があると思うんですね。

 

もう一つ言うと、”新しい道”を探していないと、”格闘家”と言う肩書を捨てる事が難しくなります。

 

さっきも書いたように、格闘家の区切りはあいまいです。

 

そうやって新しい道を探すことが出来ず、歳をどんどん重ねて行き、試合もたまに組まれたりもしながら、かつての自分のビッグマッチをYoutubeで後輩に見せびらかせながら酒飲む、みたいな、モロ師岡状態になっている人、これはあまり良い状態とは思えません。(誰かの事を限定して話しているわではありません。。)

 

元々好きで人生掛けて打ち込んでいる物です。

簡単に新しい目標に乗り換えるなんてできません。

 

でも、だからこそ、現役選手のうちに目星をつけて、新しい、良さげな道を下調べしておくんです。

 

 

格闘家になるような人間は、きっと純粋でまっすぐな人間が多いです。

 

”現役選手のうちからほかの事やるなんてヨゴレだ!”って思う人も多々いらっしゃるでしょう。

 

 

でも、ここは冷静になって考えてみましょう。

 

格闘家が輝ける時間は短いです。

 

30代前半くらいが格闘家としては登りのピークでしょう。

 

けど、社会人として考えた場合、30代からこそが、まさに成長期、正念場、ここをしっかり抑えた人間が幸せな40代、50代を迎えられることになる時間なはずです。

 

何も考えずに格闘家としてだけに専念して過ごすのは、少し怖い事でもあります。

 

 


ここで、少し僕自身の話をしましょう。

 


 

あまり公に話してはいない事ですが、現役バリバリの頃、僕は一度飲食店を経営したことがあります。

 

年齢は26~27歳頃、ちょとしたレストランバーでした。

 

 

当時の僕は、日本テレビで放送していたK-1 JAPANAシリーズと言う、ヘビー級の日本人にフォーカスを当てたイベントに割とレギュラーで出場していましたが、中々上位陣に食い込むことが出来ず、将来に漠然とした不安を抱いていた頃でした。(K-1創始者の石井館長が脱税で検挙されたのもこの頃で、それをきっかけに自分自身の今後の生活にも影響があるのではないかと不安を感じたりもしていました)

 

今でも覚えていますが、2004年、K-1JAPANGPの1回戦でマイクベルナルドにKO勝ちした試合の次の週が、実は新しく始めるお店のオープンパーティーの日でした。

 

あの試合、超不利な予想を覆し僕はマイクにKO勝ちする事ができましたが、実はこの時期、練習量も少なく、とてもマイクに勝てるようなコンディションではありませんでした。大体コンディションどうこう以前に当時のマイクと僕じゃあ9:1で不利でしたから。(書いてて思ったけどそんな時期にお店始めるってかなりなめてますね。。)

 

ちなみに試合内容は、玉砕覚悟の完全にキレキレの喧嘩モードで仕掛けて行った事が功を奏し、運よくハイキックが当たってKO、って感じの内容でした。(当時のマイクは身体(首)を悪くしていたのも大きかったと思います)

 

 

ちょっと試合の話はこれくらいにしましょう。

 

 

そんな感じで現役時代にはじめた僕のお店、今はどうなっているかと言うと、、

 

すでに人の手に渡っています(笑)

 

と言うか、お店は1年しか持ちませんでした。

 

 

今考えたらめちゃくちゃで、社会人経験すらほとんどない人間がただのノリで始めたお店で、全くの素人がよく1年も経営できたな、って思うんですが、今となってはこの時にやっておいてよかったなと思っています。

 

何故なら、これで経営のイロハをつかめたし、ここでできた人脈が後々とても役に立ったからです。

また、早い段階で失敗を経験できたのも良かったと思います。

 

このお店をやるときも、選手仲間からは「え~!?、店やるの!?」って驚かれましたし、

実際自分でも後ろめたさはありました。

純粋に競技生活だけをしていない自分に対して(俺ヨゴレやなって…)。

 

でも、それでもやっぱり、今となってはこの経験はしておいてよかったなと思います。

お店をノリで始めた事も、1年で見切って捨てた事も(笑)。

 

*補足で付け加えると、この時期の僕はK-1で試合をしたファイトマネーや契約金のようなものだけでなんとか生活は出来ていました。今の格闘家からしたらうらやましい生活だったと思いますね。

 

このお店がきっかけで経営のことに興味を持ち、後の会社経営(今の会社)につながっていった訳ですが、今の会社を立ち上げたのが2006年、引退したのは2011年なので5年間は格闘家と社長業の兼業だったわけです。

 

この5年の間に社会人としてのスキルも多少身に着け、会社経営の知識もつけて行きながら、体調の事や年齢のことも考慮して、格闘家の道を卒業し、新しい道へ進むことが出来たんですね。

 

だからこそ皆にも言いたいんですが、ヨゴレだろうが不純だろうが、格闘家の命は短い、次の1手は必ず現役時代から考えておいた方が良いと思います。

(念のために言いますが、現役時代に飲食店を経営するのは個人的にはオススメしません笑)

 

 

僕はこれを、

 

”モテる女子の乗り換え理論”

 

と呼ぶことにします。

 

(いま書きながら思いつきました)

 

 

あなたの周りで常に新しい彼氏が途切れない女子、いますよね?

 

彼女たちは総じて”浮気はしていない!”って言うんです。言うんですよ。。

 

でも、彼女たちは今彼に見切りをつけはじめたあたりから、新しいターゲットを探し始めるんですね。

 

そしてターゲットを見つけたら、自分の方を向かせる様に様々な手法を凝らします。

そんなことしてない!って口ではいいますが、本能的にするんですね(笑)

(これはすばらしいスキルですが)

 

そして、新たなターゲットにロックオンし、あとはトリガーを惹くだけの状態にしておいて、今彼を切り離しに行くんです。。

 

恐ろしいですね。。

 

でも、その準備が出来ているからこそ、今彼をすっぱり捨てやすくなる。。


しかも浮気ではない。

 

これはある種とても理にかなった効率的なやり方です(笑)。

 

 

格闘家のみなさん、彼女たちを是非見習ってください。

 

新しい彼、、いや、道を探す事は不純ではありません。

 

それを見つける事によってセカンドキャリアはもっと輝くものになるし、一歩踏み出す勇気にもなります。

 

もちろん練習もせずにそんな事ばっかりしていたらだめですが、ふと立ち止まって周りを見渡してみる、と言う事は大切なことな気がします。

 

今の自分を疑ってみること、凝り固まっている価値観を疑うこと、その作業は必要な事だと思いますし、これは選手生活にも言えることだと思いますが。

 

 

さて、長々書いた割にはまたしても真新しくもない至極まっとうな意見を言っているだけなのかもしれませんが、

要するに、格闘家としてリングにあがる以外にも、実は選択肢はたくさんあるんだという事を、今悩んでいる人には教えてあげたい、って話です。

 

格闘家、って、特別な存在ではありません。

 

色々な職業があるうちの一つでしかないし、これは前回の投稿と通じるかもしれませんが、自分が格闘家になりたい!と思った根底にある思いを掘り下げる作業をしていけば、他にやってみたいことも見つかりやすくなる気がします。

 

現役の格闘家のみなさん、今はしっかりと現役生活を全うしながら、他の選択肢を頭から排除せず、色々な事に挑戦してみましょう。

 

きっと道は開けるはずです。

 

 

そして、格闘家と言う職業は、ありがたいことにリスペクトを得られる職業でもあります。

 

現役の格闘家は人から、

 

「すごいですねー!」

 

って言われたことも多いでしょう。

 

そこに関しては、謙遜しながらも自信を持ちましょう。

 

今続けている苦しい練習で培った物、リング上での恐怖感に打ち勝つ精神力、それらは他の物事に向けても、同じように力を発揮できるはずです。

 

 

もちろん、僕自身は1流と呼べるような格闘家ではありませんでしたから、もっとレベルの高い方々の意見もたくさんあると思います。

 

個人的には、現役の格闘家時代から自らの才能と努力、そしてプロデュース能力で、現役時代も、そのあとも、とても輝かしい活躍をしている人間が一番理想だとは思います(例えば須藤元気くん、魔裟斗くんの様に)。

 

でも、そんな稀有な才能を持った人間は一握りです。

 

一般の格闘家はマネしたくても出来ないでしょう(笑)

 

だからこそ、格闘家としては1流にはなれなかったけれども、その後のセカンドキャリアを、まあそれなりに、ある程度こなせている僕くらいの人間のアドバイスが等身大でよかったりするんではないでしょうか?(笑)

 

 



さて、今回も長い文章をご拝読ありがとうございます。

 

今回の記事は少し慣れてきて4~5時間くらいで書けました(笑)。

 

この調子でこの”文章を書く”っていう事も練習していきたいと思います(笑)。

 

 

また気が向いたら何か書きますので、

よろしければまたこのブログに足を運んでくださいね~~

 

 

**最後に補足**

 

一番最初に持ってきた写真は2007年頃、当時のメインストリームであったK-1からは少し離れて、地元名古屋の格闘技イベント、「HEAT」に呼んでいただいて出始めたころの写真です。

選手としては、この時期にK-1からのオファーよりも、こちらのイベントを優先して選択した事も、今となっては正しい選択であったと思います。

(K-1では若手の相手、HEATではメインイベンターとしてのオファーでした笑)

 

その話しは、またいずれ機会があれば。。