こんにちは、ともこです。
昨日お知らせしたワークショップのお申し込みやお問い合わせをたくさんいただいています。
ありがとうございます。
お返事がまだの方、お待ちいただきありがとうございます。
お知らせしてすぐにお申し込みをいただいたのですが、
お申し込みと同時にこのワークで繋がるラインの繋がりを感じて、それはわたしも驚きでした。
昨日の記事でも少し書いたのですが、
数年前に、自分自身のことから、家系が持つカルマというものはあるんだなと感じました。
そのときに、祖先とか、そういう存在をはじめて意識しました。
不思議なもんだなぁ、、と思ったのですが、「応援されている」ということをとてもはっきりと感じました。
もしかしたら以前にブログで少し書いてるかもしれないけど、
そのエネルギーの感覚を視覚化すると、ご一行様が旗振って応援しているような明るい感じです。
しかも印象的なのが、マラソンランナーを応援している沿道の人たちのように、ラインがあって、その向こうから応援しているような感じ。
白線の向こうから応援しているようなイメージで、ちょっとだけ距離感がある。
それはその線からは出ないと決めているのか決められているのか、そんな感じです。
とても一生懸命、まるで親心みたいなあたたかみで応援してくれている。
その白線と、彼らを感じたとき、それが基本的な姿勢なのだと感じました。 ひとつ理解が深まった感じがした。
サポートはすごくしてくれるんです。 人間に近い存在ほど、そのサポートは分りやすい形になる、そんな印象もあります。
けども、こちらから、お願いする必要があります。
それは媚びたり、自分の中の弱さからではなく、真摯な姿勢というか、等身大のまっすぐな姿勢でです。
こういう、投げかけるエネルギーの方向性のことをチャネリング先とわたしは理解しています。
またその話は別の機会で。
そして、今日シェアしたかったことは、昨日お申し込みいただいた方から繋いでいってたのですが、
おもしろい空間体験をしました。
あれ、わたし目が開いてる? いや、閉じてるよね、これ実際見えてるんじゃないよね?
なんて感じながら、まどろんでました。
感覚として、すごく似ているのは、“懐”だった。 ふところ。
ふところってこんな感じなんだね~って体感したことは以前にもあったのですが、
より、大きく深い空間で、薄暗いんだけど、とても安心感がある。
わたしが感じる謙虚道とはあんな感じです。
わたしはこのワークでこの空間を貸していただく?ことになるのかなぁと思いました。
なんとも、主観の話で、「信じるも信じないもあなた次第。」、、、 って誰や 笑
そして、おそらくこのときなんじゃないかと思うのですが、、
次の日の朝、目が覚めたら、母から夜中に電話がかかってました。
どうしたんだろー、何かあったんかな?と思って、ちょっと心配になって、
そしたらメールも入ってて
「何かあったんか~ 気にせんと電話してきーや。」と。
え?? わたしが電話したんか?と思って確認したら、電話してる~!
しかし、電話はベッドサイドに置いてたわけでもなくて、超不思議。
とりあえず、母親に電話してみて、なんでかな~?みたいな感じで笑って終わったのですが。
母娘、の関係性はとても濃いものなので、
これはもちろんわたしのとこだけではない話ですが。
今までずっと互いにサポートしあってきた感はありますが、
ステージが変わる際、必ず母は、余波を受けてくれたり、言霊を知らずに差出したり、まさに小宇宙の母なる大地になってくれてます。
めっちゃ、長いけど
ここからが本題で 笑
タイトルの 「セラピーとは人間力であるということ」
これも以前に書いたことのあることだと思うのですが、
セラピスト、という定義は置いといて、
これから「生きるセラピスト」として活躍してかれる方が増えてくると思います。
昨日、講座にきてくださった方も、
「他の人からは、あなたは十分感じているのだからと言っていただけるのだけど、
自分ではよく分らない、見えたり聞こえたりとかわからない。
自分を信じていくってことなのだろうと思うけど、、」
と話されてました。
とてもよく分ります。 特に人の個性に視点がいったときは、自分に何ができるのだろう、、という気持ちになること。
そういうときは、本当は自分の個性を知りたいと願っているのかもしれないですね。
わたしは講座でよく伝えさせてもらってます。
セラピーは how to ハウツー ではないってことを。
そして、自分自身が統合していくと、ガイドやハイアーセルフの声に従うとか従わないとかという視点さえなくなります。
どれほど、難しい賢そうな言葉が並んでいても、その言葉にそれを発する人の等身大のエネルギーがのっかっていないと
言霊になりません。
逆に、どんな内容のことを言っていようとも、
そこにその人の素直な気持ちや、等身大のエネルギーが乗っかっていたら、言霊になります。
そこに人は何かを感じ、動かされ、癒されたり、勇気をもらったりするのです。
知識でなく体感が大切、というのは 体感はその人が体験し感じたことだから。
それが言葉になるとエネルギーが乗っかります。
セラピスト、という定義はさておき、その人がその人らしく生きていくお手伝いをしたい、癒しやヒーリングをしていきたい
わたしも含め、これからそう願う方々に伝えれることは
「素直に表現していくこと」
なのです。
そう生きれば、すでにセラピスト とも言える。 何をしていても。
そして、“強み”は表現していくことで発動していきます。
「素直に表現されている」 そのエネルギーに人が集まってきます。
それはお約束のソウルグループが。
なので、市場の争いは起きません。
全体は自分。
自分の中で市場の争いは起きないよね?
右手は左手の仕事を奪って喜んだりしません。 ナンセンス。
ほんまに何の心配もいりません。
セラピーを始めるまでに、わたしも、随分時間がかかりました。
自分の中で許可が下ろせなかったのです。
そして、始めるって決めたとき、
そんな話は母に言ってはなかったのですが、
映画に誘われて、それが ATARU でした。
このお正月に、確かテレビでその映画放映されたんじゃないかな?
仲居くんとほりきたまきちゃん。
そのドラマ見てもなかったのに、なんで誘われるんだろ、、と思いながらも
なんとなく行って観たら、号泣しました 笑
「能力よりも人間力 そのことを大切にしなさいね。」
そう言ってもらえたような気がしたからです。
これから数年のうちに、多くの人にとって奇想天外な情報が表に出てくることになるでしょう。
そんな発想もなかった人にとっては驚異かもしれないけど、
だからこそ、人間力が生きてくる。
直感力と素直さで生きていく人は
必ず、慈悲や、共感力が育ってきます。
それが人間力になっていく、
そんな風に感じています。
あ~
長くなった!
読んでくださった方ありがとうございます(*^o^)乂(^-^*)