2024年11月10日(日)、福岡遠征のメインである福岡マラソンの日を迎えた。

12度目のフルマラソン。そして、3月の徳島マラソンに次いで1年間に2度フルマラソンを走るのは2014年(勝田&かすみがうら)以来10年ぶりである。


前の晩は、ゆっくり休む事は出来たが、何せ今回は怪我の影響で調整期間が満足に取れなかった。


通常の4分の1程度である1ヵ月程しか調整が出来なかったので、タイムに関しては仕方ないと思っている。


無事に完走して長崎への日帰り旅まで完結する事を目指して、最後まで諦めずに突っ走る事を最大のテーマとして本日のお題に挑む。


残念ながら本日の天気予報は、良いものではない。


只今現在は雲だが、10:20過ぎより雨が降り始め、夜もずっと降り続く予報となっていた。


予報通りであれば、大半は雨中の大会となる。


徳島の時ほどではないものの、天気には恵まれないようだった。



ホテルを出ると、会場を目指す参加者がゾロゾロと見られた。


ホテルの9階からエレベーターで降りる時も、ほぼ各停状態だった。


福岡マラソンの雰囲気が早くもありありの中で、参加者の波に乗って手荷物預け所を探さなければならなかった。


前記事(vol.1)でも触れたが、紙媒体のパンフレットが無いので本当に不便なのだ。


参加者をマークするように付いて行って手荷物預け所を見つけた!と思ったが、8番~12番の預かり所だった。


トーマスは、6番に預ける事になっていた。


壮絶な福岡遠征は、この日から始まるとは思っていたが、手荷物を預ける所から既に始まっていた。


結論から言ってしまえば、6番の預かり所は全然違う場所にあった。


そこに辿り着くまでに、スタッフに3回尋ねた。


スタッフは、ちゃんと教えてくれるが、「岩田屋の辺り」とか言われても、岩田屋がどの辺りに有るのかも分からないので、てんてこ舞いだった。


「手荷物預け受付終了まであと5分です」とか「あと3分です」とか言うアナウンスが聞こえる中での捜索だったので本当に焦った。


最後のスタッフに尋ねた時に、周辺の地図を見せてもらいながらだったので、ようやく方角は分かった。


手荷物預け受付終了は7時45分で、6番を見つけて手荷物を預けたのは7時44分だった。


あと少しのところで手荷物預け受付タイムオーバーで、それは福岡マラソン参加除外を意味するものだった。


本当に、危機一髪のところで最悪の事態を免れたのだった。


早くも壮絶な福岡遠征の始まり。冷や冷やものだったが、どうにか福岡マラソンのスタートラインに立つ事ができた。


手荷物預けではバタバタしたが、スタートラインでは大会のカメラマンさんに撮影してもらえる幸運に恵まれた。

ご覧の通り、キャプテン翼全日本Jrユースで背中には11番岬ユニホームで大会に臨んだ。

半袖と短パンだったが、人が沢山集まっていたので寒さは全然感じなかった。

それにしても、物凄い参加人数で物凄い規模の大きさを感じた。

1万4千人を超えるランナーが参加したと聞いている。

スタートブロックは、確認できた所ではKブロックまであった。

規模が大きいとされるかすみがうらマラソンでもスタートブロックはFかGくらいまでだったと思う。

これだけ大規模な参加人数では、タイム狙いは厳しいだろう。

そして、8時20分。待ちに待った福岡マラソンスタートの号砲がかかった。

Dブロックからのスタートだったが、スタート地点を通過するまでは2分くらいだった。

思ったよりも早かった。

しかし、スタート地点を通過してから間もなくすると、コーンで仕切られているコースの外へはみ出すランナーが続出した…。

スタッフが頻りに「コースの中に入って下さい」と促す中で、余りにもコース外を走るランナーが多く「(コースの)中に入れって言ってんだろ!オラァ!」とマジ切れして怒鳴り付けるスタッフもいた。

他の人がやってるから自分も…という集団心理の表れだろう。

いきなりコース外から『ビュン』という感じで中へ切れ込む者がいて本当に危なかった。

一部の参加者だが、12回参加したフルマラソンの中では最低のマナーだった。

有りがちな人間の心理だが、やってはいけない事は、喩え他人がやっててもやってはならない。

他にもスタートしてから間もなく、前のランナーが突然振り返って引き返すなど信じられない行動に出る者もいた。

これは、高速道路で突然止まってバックするような事と同じで危険!

今回はタイム勝負ではなく、安全走行だったので回避出来たが、このような事は断じてやって欲しくない!

スポーツは、ルールを守るのが基本。

ルールも守れないような者は、参加する資格など無し。


フルマラソンは、スタートしてから暫くはごちゃごちゃするが、フルマラソンに競馬みたいな先行争いは不要である。

42.195㎞は長いので、ごちゃごちゃがほどけてから本格的にエンジンをかけるくらいで良い。


沿道でご覧になっていた方々には、時折「日本代表頑張れ!」と声を掛けて頂いた。

キャプテン翼を知っている方々からは「翼!」と声を掛けられる事もあったが、身に付けているのは岬ユニホーム。

でも、正面からでは翼だと思うのは仕方ないだろう。


福岡の名所である玄界灘に佇む夫婦岩の前を通過した。

福岡マラソンも終盤に差し掛かる頃である。

福岡マラソンは、博多湾と玄界灘の海沿いを走る事も特徴である。


足の状態は悪くないが、もっとも徳島マラソンでは38㎞辺りから足の状態が落ちてきた。

まだ、34㎞くらいなので今後どうなるかは分からないが、ここまでのタイムも悪くない。

このまま無事に行ってくれれば、長崎への日帰り旅も問題無さそうだった。


そして、爽やかに4時間32分でゴールを駆け抜けた。

自分で言うのもだが、調整期間が取れなかった中で大健闘だったと思う。

1ヵ月という短い間だったが、みっちりやった事で最後まで走り切れたのだろう。


参加したランナーも多かった福岡マラソンだが、沿道で我々ランナーを応援して下さった方々が、25万人という数にもびっくり。

今回は、沿道で声援を送り続けて下さった方々にも多くの力をもらいました。

ハイタッチを交わして下さった方々からも沢山のエネルギーを頂きました。

サブ4!!を目指していた時の真剣勝負で臨んだ大会とは違った楽しさが詰まった4時間32分だった。
記念撮影を終えて着替えて次の目的地である長崎を目指す頃には、雨が本降りになっていた。

大会中は、たまにポツポツと落ちてくる事はあったかもしれないが、雨は殆ど降らなかった。

予報では10:20頃からとなっていただけに、大会中は持ち堪えてくれて良かった。

雨が降りしきる中で博多へ行くバスを探した。

しかし、電車の最寄り駅である筑前前原駅行きの無料バスは見つけたものの、博多へ行くバスは見つからなかった。

手荷物預けの時もだったが、不要なものばかり見つけて、必要なものが見つからないという事態が続いた。

そして、手荷物預けの時と同じくスタッフに尋ねて、博多へ行くバスを見つけるのだった。

大会ホームページには、『ゆったり座って帰れる』と書いてあったが、実際には最後にバスに乗車した4~5人は、補助席に座るほど満席だった。

福岡マラソンのゴール地点である糸島から博多へ行くバスが出発したのは13:35頃だった。

順調に博多まで戻れれば、次の目的である長崎への日帰り旅も問題無い。

大渋滞にだけは捕まらない事を祈って、バスで博多を目指した。

壮絶·福岡遠征記vol.3 
福岡マラソン 楽しかった4時間32分終わり

To be continued