カタールW杯サムライブルーの初戦を1週間後に控えた今日(11月16日)、ジョホールバルの歓喜から25周年を迎えた。


ワールドカップアジア第3代表決定戦でイラン代表を破り、重く閉ざされていたワールトカップの扉を初めて開いた日である。


日本サッカー史上最大の歓喜となったジョホールバルでのイラン代表との一戦は、トーマスにとって2度目の海外遠征でもあった。

ドタバタ劇で決まった2度目の海外遠征だった。

それもそのはず。

アジア最終予選の最終節でカザフスタン代表を破ってアジア第3代表決定戦進出を決めたのが11月8日だった。

それから、1週間後にマレーシアに行くというのだから、会社にも無理なお願いをして行かせてもらった。

アジア第3代表決定戦の戦いの場に辿り着けたのは、会社のご協力もあり実現した事だった。

試合会場であるラルキンスタジアムは、日本のスタジアム!?と錯覚するほど大勢の日本人サポーターで埋め尽くされていた。
その多くは、トーマスと同じように無理をして出てきたと思われる。

そのおかげで、歴史的な瞬間に立ち会えたのは言うまでもない。

スタジアムを後にしてからも我々サポーターからは歓喜の渦が消える気配もなく大盛り上がりだったが、代表選手達はロッカールームに戻ってからは勝ったとは思えないくらいシーンとなっていたらしい。

試合が終わってから暫くは、ワールドカップ出場を決めたというよりも、「やっと終わった」「これで日本に帰れる」といった安堵の方が強かったという。

思えば、トーマスも負けて日本に帰れば、会社でどうなっていたか分からなくもあった。

アジア最終予選では、韓国に独走を許してUAEとの2位争いでも追いつめられていた時からサッカーファンではない会社の先輩から「もう諦めろ」とさんざん冷やかされていた事もあった。

マレーシアまで行って負けて帰ってくれば、その先輩は更に調子に乗っていただろうと思うと勝てて本当に良かった。

ワールドカップ予選を戦う代表選手達は、何時の時代も重圧がかかるが、25年前は一度もワールドカップアジア予選を勝ち抜いた事がない日本代表が是が非でもアジア予選を勝ち抜いてワールドカップ出場を決めなければならなかった。

次回大会である2002年が地元開催なので、その前に何としてもアジア予選を勝ち抜かなければならない背景にあったからだ。

ワールドカップ出場が身近になった現代とは違った重圧が、25年前のサムライブルーにはあった。

ジョホールバルの歓喜から25年が経過して、サムライブルーの目標はワールドカップベスト8(新しい景色)になった。

ドイツ、スペインと言った強豪国と同居してしまったために、25年前のような何としても…という重圧は無いが、新しい景色に辿り着くためにサムライスピリットを見せてもらいたい。