合格おめでとう か? | プラクティス

合格おめでとう か?

合格おめでとう か?


日本人は、合格が好き、です。


そして、そのための情報が膨大にあります。


が、たとえば、そこそこの高校に60点の合格ラインギリギリで合格して、周りが皆、90点で合格した、としましょう。


TOEICでいうと、600点と900点みたいなもの、です。


これは、慶應とか、早稲田でも起こり得ること、です。



で、日本人はプライドが高いので、


自分はその人達と同じ、とか考えるのではないでしょうか。


しかし、実際は一回り、二回りの勉強量の差がある、のです。


で、合格後、それを認めてちゃんとやるでしょうか。


答えを言ってしまうと、やらない、のです。


何故かって、合格が目当て、だからです。


これなんかも、結婚が目当て、なのです。



社会人で言うと、就職が目当て、なのです。


で、合格おめでとう、なのです。



それって、本当は「え?」なのです。


自分は遊びたいから、そのために大学合格とか、


自分は遊びたいから、そのために成婚とか、


そういうことになっている、のです。


で、合格後の生活は…みたいなこと、なのです。



現に、テレビ局でも、「こういうことがしたい」という人が、全然居なくなった、そうです。

(そして、安い芸人や知識人を集めて、視聴率と制作費の最適化をはかる(=どこも似たような番組、面白く無い))


それより、子供と遊んでたい、みたいになっている、のです。


じゃー子供と遊んでろよ、なのです。


職場を通じてしたいことが、子供と遊ぶこと、なら、保育士にでもなれよ、なのです。


大学を通じてしたいことが、子供と遊ぶこと、なら、先生にでもなれよ、なのです。



逆に言うと、金のためにしたいことじゃないことをするな、なのです。


たまに、何でこの人がサービス業をしているのか疑う人が居ると思いますが、まさにそれ、なのです。

(当人がしたくないことをして、楽しめるとか、成功する訳ないでしょう?)


で、その採用に、


合格おめでとう か?


なのです。


客からすると、何もおめでとうではない、のです。


テレビの視聴者からすると、何もおめでとうではない、のです。



結婚生活で言うと、家事したくないのに結婚したいみたいな、メチャクチャな人が増えてる、のです。


それは、大学に入ったけど勉強しない、と、同じノリなのです。


その合格の何がめでたい? なのです。



何がしたいんだよ、なのです。


で、合格がしたい、のです。


出会い系の男性で言うと、合格(セックス)がしたい、のです。


婚活の女性で言うと、合格(結婚)がしたい、のです。



だ、か、ら、何がしたいんだよ、なのです。


たとえば、育児を夫婦の半々でと言う専業主婦は、育児をしたくないんじゃないの? なのです。


あるいは、料理を夫婦の半々でと言う専業主婦は、料理をしたくないんじゃないの? なのです。


仮に妻がそうなら、自分は働いて、主夫を選べって話なのです。


共働きなら解りますが、専業主婦で、夫は家事も手伝えって相当なのです。


要は、これの「あんたは稼ぎが少ないんだからその分、家事ね」バージョンなのです。



で、結局、破綻するのですが、


なんか、もう、あんたら、よーやるわ、なのです。



学校で、勉強しないで遊んでる学生のその後、みたいなことなのです。



何しに来たって、遊びに来た、のです。



よく、ニュースで、こんな奴でも彼女(彼氏)が居るんだ、みたいな犯罪者が居ますが、


それも合格までが上手いのです。


実力ではなく、までが上手い、のです。



これ、詐欺ではなく、結婚でも、同じ、なのです。


いかに、そう思われず、するか、なのです。



男女を入れ替えると、いかに体目当てと思われず、するか、なのです。



コツは、そう思われないように振る舞うこと、みたいですが、阿呆か、なのです。


でも、男も、女も、こんなのばっかり、なのです。


入社で言うと、入ったこともないのに御社に入りたかったとか言うのです(ファンでもないのにファンとか言う人と同じなのです)。


それ、何社に同じこと言ってる?



他人を騙すし、自分も騙すし、それで平気、なのです。



で、今やコレですが、だ、か、ら、何がしたかったんだよ、なのです。





答えを言うと、家で動画、ゲームなのです。


そのために、仕方なく働く、ということになっている、のです。


何が、合格おめでとう? なのです。



なんか、自分という貧乏神を誰に押し付けるか、みたいな話になっている、のです。



もちろん、当人は自分が貧乏神だなんて思ってない、のです。


理由は、自分がそう思わないから。


現実を正しく認識出来ない、のです。