同行二人 | プラクティス

同行二人

同行二人


四国のお遍路さんは、空海と旅するもので、その意味で四国でなきゃいけない意味はありません。



逆に、空海と旅しないのであれば、四国を歩いても健康以外のご利益はありません。


さらに、車で巡るのなら、もはや観光で、健康のご利益も無い、のです。



お遍路さんは、一人で歩いているようですが、本当はこう、なのです。



つまりは、スタンプラリーではなくて、修行なのです。


昨今では、御朱印集めを趣味にしている人達が居ますが、それとは全然違う、のです。



これは金メダルに向けてのトレーニングですが、これを中継地点のスタンプ集めにしたら、全然意味が変わってしまう、のです。



車で効率的に集めると、それはやってるけどやってない「仏作って魂入れず」になる、のです。



で、繰り返しますが、お遍路とは空海と共に歩くことに意味がある、のです。


これで言うと、小出監督と一緒に走ることに意味がある、のです。



それを小出監督を無視して、適当に歩きながら、美味しいものを食べ歩きしてたら、


小出監督が呆れる、のです。


同じように、空海も呆れる、のです。



何と言うか、心身贅肉とすのに、贅肉をさらにつけるようなもの、なのです。




左が左のままお遍路をしたなら、全く何も身についてませんから、それなら家で右になった方がまだお遍路だった(空海に近づいた)のです。


菅原道真で言うと、太宰府天満宮、北野天満宮、湯島天神、に行って満足して(勉強せず)偏差値が1も上がってない人より、菅原道真を思いながら勉強した何処にも行かず偏差値を上げた人の方が、より菅原道真に近い(菅原道真だってそっちの方が良い)のです。



同行二人の意味(力、ご利益)とは、そういうことで、こういう形骸化はどうでも良い、のです。



それで体力、知力が上がるんだったら、そうしたら良い、のです。


上がらないんだったら、意味ない、のです。


参考書と制服を買って、勉強しない人と同じ、なのです。



ちなみに、西洋では、それがキリストなのです。


キリストなぐらいですから、日本ではなく世界何処でも良い、のです。


逆に言うと、日本人は空海の力をえらく狭く制限して、えらい低く見積もっている、のです。


と言うか、そもそも空海のことを知らない、のです。


知らないのに、同行二人も何も無い、のです。


キリストのことを知らない人が教会巡りをするようなもの、なのです。





これは初代タイガーマスクに憧れて、自分もタイガーマスクになった弟子ですが、同行二人とはこういうこと、なのです。


それが師匠について何も知らない、興味も無い、そんな人が師匠のゆかりの地を歩いても、ハイキングみたいなもの、なのです。



つまり、重要なのは「近づきたい誰かを決めてそれはどういうことか考えながら歩く」ということなのです。


よく数学の答えは散歩中に思い浮かぶというものがありますが、それを意識して起こすということなのです。


それを神通力と言うなら神通力ですし、神の祝福と言うなら神の祝福ですし、自分のしたい分野でそれをすれば良い、のです。



たとえば、私だったらバタフライをしている人(になりたいと決めて)、それを思いながら泳いでたら(これが同行二人)、いつの間にか出来るようになった、のです。



空海が説いたのもまさにこれで、これを密教と言う、のです。



モテるグループに居れば、自分までモテるようになるし、モテないグループに居れば、自分までモテなくなる、のです。


要は、文字や言葉で教えられなくても、密かに影響を受けて自分までそうなってしまう、のです。



小出監督と四六時中一緒に居たら、いつの間にか速く走れるようになってしまう、のです。


で、私はそれを生きているのか解らない人(動画)で、そうなりましたよね?


と言うことは、死んでても有効、なのです。



ただそれには自分からのアクセス(吸収)が必要なのです。



これで言うと、何度もよく見ながら、やってみる、なのです。


お遍路さんなら、空海の説いた教えを咀嚼しながら歩く、なのです。


学者だったら、ずっと難問に取組みながら散歩する、のです。



すると何故か、神の閃きが起きる、のです。


科学的に言うと、シナプスとシナプスが繋がる、のです。



はい、これであなたは四国に行かなくても、空海のことを知らなくても、自宅の周りでお遍路が出来る、のです。


やり方は、自分がなりたい先達を決める、そうなるように生きる、するとそうなっている、のです。



仮に今の私だったら、懸垂してる人、なのです。



先達を見て動きを真似れば真似るほど、その人になっていく、のです。


初めは全然出来なくても、やってればシナプスとシナプスが結びついて(神経回路が出来て)、出来るようになる、のです。


逆に、日本人が語学が出来ないのは、人をよく見てないし、真似ない(実際に行動しない)から、なのです。


スケートで言うと、羽生結弦の滑りをよく見ないで、彼の話も聞かないで、すらすら滑れるようになりたい、と思っている、のです。


そんな馬鹿なと思うかもしれませんが、そんな馬鹿な、なのです。





先達を見習って、そのとーりに動けば、そうなる、のです。