私は9勝60敗
私は9勝60敗
現代では、将棋でネット対戦が出来るのですが、今年から始めた将棋の勝率は9勝60敗です。
60敗ですから、1敗や2敗、不戦敗の愚痴や泣き言なんて、私には通用しない、のです。
それ、全身骨折した人に、突き指をしたと泣きつくようなもの、なのです。
それ、全身骨折してる人に言う? なのです。
「わかって欲しい」の前に、こっちを解れ、なのです。
こっちは60敗してるのです。
で、それが大したこと無いなら、1敗や2敗、不戦敗は、より大したこと無い、のです。
で、人間の脳は面白いもので、負け続けるとだんだん負けパターンが解ってくる、のです。
負けパターンが解ってくると言うことは、それをしなければ良い、のです。
つまりは、過去の自分の判断を否定すること、なのです。
A が良いと思った自分を否定すること、なのです。
A が良いと思った自分を信じることではない、のです。
それすると、また同じことになる(敗ける)のです。
で、重要なのは、
最初は成功ルートが何も見えない
のです。
でも、負けても負けても、失敗しても失敗しても、それでもめげずに投げずに続けていると、
「こうすれば上手く行く」と言うのが見えてくる、のです。
それで一応、9勝出来た、のです。
で、世の中には、自分は失敗ばかりで、とか、上手く行かない、とか、悩んでいる人が多そうですが、
私は今月だけで60敗している
のです。
しかも、全力でやって、60敗してる、のです。
つまり、失敗の数は私の方が上なのです。
ですから、私の方が愚痴や泣き言を言う権利がある、のです。
なんで60敗の奴が、3敗の奴を慰めるんだ、なのです。
自分は失敗ばかり、で言うなら、
こっちの方が失敗ばかり、なのです。
で、勝ち方がわからないって、
こっちの方がわからない、のです。
で、勝ち方を教えてくれ(勝ち方を知りたい)って、
そういうものではない
のです。
敗け数(経験)を積み上げていくことでしか、勝てない、のです。
この2人に、テトリスで勝てる方法は何ですか? と聞くようなもの、なのです。
そんなの負けても負けても続けること、なのです。
失敗しないで上手くなりたいとか、そんなもの無い、のです。
ペーパーテストの弊害でしょうが、何でここまで話が通じないのか、なのです。
皆、異様なまでに失敗を避けてる、のです。
たとえば、将棋を職業、ゲームを職業にしたとすると、そこで儲けているのは、
敗けに敗けて敗けまくった人なのです。
つまり、仕事でもそう、なのです。
ピアニストで言うと、発表会の前までに、
失敗に失敗、1日何時間も何百回も、失敗しまくった人なのです。
これが真実、これが現実、これが本当なのに、
多くの人は「この方法でやれば失敗無しに成功する」みたいな、有りもしない夢(個人の希望)を永遠と見続けている、のです。
しかも、そんな人が増えている、のです。
で、こんな人が、敗けない、失敗しない中で、
私は敗けまくり、失敗を繰り返している、のです。
傷だらけ、なのは、こっち、なのです。
失敗しまくってるのも、ボロボロなのも、こっち、なのです。
で、勝ち方を知りたい、それがあったらやる、それが無いからやらないって、
そういうものではない
のです。
成功する方法があるのではなく、敗けを糧に大きくなっていくしかない、のです。
あるいは、成功する方法は、負けても失敗しても続けること、なのです。
ゲームで言うと、負け(失敗)が確定しているイベントをやるようなもの、なのです。

