勇気は怖くないではなく怖くても進むこと | プラクティス

勇気は怖くないではなく怖くても進むこと

勇気は怖くないではなく怖くても進むこと


世界一強い男、井上尚弥でも試合前は怖いから、死ぬほど練習する、のに、


その他、何千万人の男は、怖くなくなったら進む、というのが勇気なのです。



故に、この類は、100%間違い、なのです。


その証拠に、コロナの時は全然だった、のです。


怖くないなら進む、なら、怖いなら進まない、つまり、勇気が無い、のです。



繰り返しますが、井上尚弥が、女がいるならリングに登れる、とするならば、それは勇気ではなく、勇気無し、なのです。


将棋の棋士の藤井聡太が、女がいるなら戦える、とするならば、勇気があるのではなく、情けない男、なのです。


そう思いませんか。


絶対に傷つかないなら戦える(高学歴)とか、友達が一緒に来てくれるなら戦える(引きこもり)とか。


そんなの勇気って言わないでしょう。


もちろんこれを大学受験や就職試験にしても同じ、なのです。





よく、メンタルを鍛えて?怖くなくなったら進むみたいに先送りしている人が居ますが、それは政治家が前向きに善処すると言うのと同じ、なのです。


繰り返しますが、日本一強い、日本一メンタルも強い井上尚弥選手だって「怖い」のです。


怖くなくなったら進む、のではなく、怖いけど進む、のです。


これが現実なのに「メンタルを鍛えて?怖くなくなったら進む」という発想自体が間違っている、のです。


怖いから、そういうことにして、逃げてる、避けてる、のです。




雪山で言うと、さっさと失敗しろ、なのです。



本番までに100回失敗した奴が、本番で成功する、のですから。


失敗するのが解ってても進め、なのです。


それが、勇気なのです。


三振が怖くてバッターボックスに入らない、その怖さが無くなったら入るは、勇気じゃない、勇気がない、のです。



また、彼女や友達が居たところで、だから怖くないとか、だから失敗しないとか、そんなことは無い、のです。


それが居たら野球で失敗しない、サッカーで失敗しない、音楽で失敗しない、どれも成功するとか、あると思いますか。


現実にありますか?


無いものをあると思い込むのは、頭にお花畑が咲き過ぎ、なのです。


そういうのは十代で終わらせておけ、なのです。




負けるのは怖くない


ちょっと逃げ腰になる日が来ることに怯えてるけど