女性の悪手 死活問題 | プラクティス

女性の悪手 死活問題

女性の悪手 死活問題


女性は、男性の悪手なら解るでしょう。


同じように、女性も悪手をうつことが大いにあります。


でも、それは女性の中では無かったことになっています。


何故なら、悪手だと思ってうってない、からです。


しかし、当人に自覚があろうとなかろうと、悪手は悪手なのです。


そして、その中でも「活き死に」に関わるものを「死活」と言います。




その手をうってしまったら、いずれ死に繋がる、のです。



即死ではなく、いずれ死に至る、のです。


たとえば、24歳フリーター女性が居たとして、それは即死はしないけど、そのフリーターという手をうっていると、ジリジリと死に近づいて、30歳には詰む、のです。


それが女性の中では、30歳問題が発生した、みたいになっている、のです。


しかし、そうではない、のです。


自分が問題を大きく育んだ、のです。


囲碁で言うと、それよりも前の段階で、それをしたら死に石になる、というのが決まっている、のです。


高学歴プアとかも、そういうこと、なのです。



で、大抵の場合、駄目になってからの相談なのです。


24歳フリーター女性で言うと、死活をうった時には相談はなく、30歳フリーター女性という問題が表面上に現れた時に相談なのです。


これは、相談とは言わない、のです。


独断専行と言うのです。



何と言うか、旦那に隠れて投資をはじめて、大損になってから相談みたいな、どうしようもない人なのです。


大谷翔平の通訳かよ、みたいな話なのです。


旦那が妻に隠れて投資(ギャンブル、借金)をした、みたいなことなのです。



さらに最も解りやすいのが、肥満なのです。


食う悪手、食う悪手、食う悪手からの肥満、糖尿病なのです。


婚活困難病、離婚病、再婚困難病なのです。


でも、当人は「これは悪手」の自覚がない、のです。


旦那が妻に隠れてギャンブル、借金で言うと、自覚があったら、やってない、のです。


で、駄目になってからの相談は、相談になってない、のです。


でも、多くの女性は、そんなのばっかり、なのです。


太って膝を悪くしてしまいました、どうしましょう、みたいなことなのです。


年とって結婚相手が居ません、どうしましょう、みたいなことなのです。


それは当人的には相談でも、相談ではない、のです。


保険に入らず事故を起こしました、みたいな通報なのです。


で、枯れた花を生花に戻すみたいなことは出来ない、のです。


医者でも弁護士でも、どうしようもない、のです。


犯罪で言うと、刑務所に入ってください、なのです。



たとえば、この女性の問題は、1日や2日で出来てない、のです。



何十日、何百日をかけて、問題(体重)を大きくする悪手をうち続けた結果、なのです。


でも、当人の中では、無かったことになっている、のです。


あるいは「太った」の一言なのです。


で、糖尿病になったら「どうしよう」なのです。


どうしようも何も、どうしようもない、のです。


そのに相談してくれないと、なのです。


相談って、太る前にすることなのですが、女性の相談は太った後に相談する、のです。


いや、だから、それは、旦那が借金して、借金が大きくなってから、実は、とか言うようなもの、なのです。


この悪手は駄目なのに、自分の悪手はオッケー、とかなのです。


女の子の不登校も、そういうこと、なのです。


不登校がどうのこうのではない、のです。



女性のドタキャンで言うと、相談無しにいきなり実行、というところが、もう駄目なのです。


その理由じゃない、のです。


これで言うと、ストレスだろうが、スイーツ好きだろうが、理由はどうでもよくて、独善的で自制が効かないことが問題なのです。



食べたいから食べる、行きたくないから行かない。


こうなったらお終いなのですが、


女性は、自分がしたいことに口を挟むな、みたいな人が多い、のです。


だから、それが死活問題なのです。


なのに、女性の中では、旦那や彼、子供だけが話を聞かない、みたいな話になっている、のです。


女性同士で考えてみてください。


話を聞かない(通じない)のは、男性、女性、果たしてどちらでしょうか。


本当は、そういうことなのに、それが無かったことになっている、のです。



食べたいから食べる、行きたくないから行かない。


それは悪いことだと思ってない。


そういうことなのです。



(かつてのこれが40、50になってちゃんと貧…になってる現実がある(真面目に生きてきた人でさえ生活が厳しくなってきているのに、いわんや)なのです。この女性をそのまま男性に置き換えてみたらどうでしょうか。自分が良いと思うから良いではない、のです)