
現実とは何か
現実とは何か
現実とは、何でしょうか。
現実とは、その人がこれが現実だと思うもの、です。
ですから、実際の現実とは大きく乖離しています。
たとえば、日本の酔っ払いは、世界的に見ればとんでもないもの、です。
でも、日本人が見ても何も思いません。
喩えるなら、日本人女性がベロンベロンに酔っ払っていたら、日本人でも「え!?」って思うでしょう。
それが外国人からすると、日本人男性に対しても同じように思うってことです。
あるいは、今の日本人が、中国で歩きタバコぷかぷかの中国人を見るようなもの、です。
で、それは何でそう思うかと言うと、
あなたが、これが現実だと思うもの、と違うからです。
女性の言葉で言うと「信じられない」のです。
逆に言うと、何かを信じている、のです。
その「信じているもの」を「現実」と言うのです。
すなわち、本当の現実とは全然違う、のです。
妻や旦那が浮気していても、知らなければ、それがその人にとっての現実なのです。
貸金庫で言うと、入ってなくても、入ってると思えば、それが現実なのです。
つまり、本当の現実とは全然違う、のです。
これに対して現実を見よと説いたのがお釈迦様で、「わかりました」と言って「自分の現実」を見る人を衆生(迷える子羊)と言う、のです。
たとえば、あなたは死なないと思ってるし、我が子ならなおさら死なないと思っている、のです。
理由は、自分がそう思うから、なのです。
このように、そもそもメチャクチャなのが人間の現実、なのです。
初恋でも無いのに「愛は永遠」とか意味不明なことで酔える、のです。
永遠なら冷めて(飽きて別れて)るのがオカシイだろ、なのです。
一つの愛を貫いている人が一体、何人居ますか。
で、この話を聞いても、「わかりました」と言って「自分の現実」を見る、のです。
地震の備えをしましょう、と言っても、「わかりました」と言って、しない、のです。
何故なら「自分の現実」では来ないから、なのです。
で、来たら「まさか」とか「こんなはずでは」とか、ひたすら悲劇のヒロインになる、のです。
「自分の現実」が正しいのに、現実はそうならなかった、と、現実のせいにする、のです。
婚活難民女性とか、そういうこと、なのです。
で、もうこの時点で、関わってはいけない要注意人物なのです。
何故かって、また何かあったら、
「自分の現実」が正しいのに、現実はそうならなかった、と、現実のせいにする
をするから、です。
具体的には、めでたく成婚しても、その人の思う現実と違ったら、
あなたのせいにされる
のです。
もし、お相手の女性が、
「男の給料は年々右肩上がりで上がる(自分は無職で良い)」のが現実だと思っていたら、
たとえ性格が良くて可愛くても、
破滅が待っている
のです。
あるいは、独り身の男性が、そのままで行けると考えているなら、
身の破滅が待っている、のです。
何でかって「現実はそうじゃない」からです。
それは当人がそう思っているだけ、なのです。
病気や怪我で一発アウトなのです。
地震が来ないと思っている人と同じ(理由は来ないと思うから)なのです。
で、地震が来たら、独り身の男性は「こんなハズでは」とか何とか悲劇のヒロインになる、のです。
いや、だから、あなたの思ってた現実が違う、のです。
もちろん、働いて来なかった女性も、自分が思ってたことが違う、のです。
このように、同じフィールドの上に居ても、現実は違って、その人の数だけある、のです。
貯金がゼロでも何の危機感も無い人もいれば、貯金が1000万円でも「ヤバい」と思って働く人も居るし、20代前半から「本当にヤバい」と思って婚活する人も居れば、30代でも「なんとかなる(良い人が居るなら考える)」なんて人も居る、のです。
つまりは、外界(本当の現実)と、人の思う現実は、全然違うのです。
そして、皆、自分の思う現実が正しいと思っている、のです。
リアルとは、その人がこれが現実だと思うもの、です。
そして、それはリアルとは全然違うもの、なのです。
なんか、意味不明な宗教では、真我とか、真の自分とか、本当の自分とか、何とか言ってますが、それら全てが違う、のです。
何故かって、それも、その人がこれが現実だと思うもの、だからです。
スピリチュアル系の人が、違う解釈でこの世を見ているだけ、と同じなのです。
それが正しいのではなく、それも、その人がこれが現実だと思うものなのですから、結局、同じ、なのです。
イスラムの人が、日本人を見るようなもの、なのです。
日本人が、アステカ文明の人を見るようなもの、なのです。
と言うか、自分の思い込みの世界から解脱したお釈迦様以外、そんなのばっかり、なのです。
で、あなたが自動車の事故に巻き込まれた場合、目撃者に、スピリチュアル系、イスラム系、キリスト系、女好きの男、他人に興味のない女、誰を信じますか。
私だったら、監視カメラを見る、のです。
他人がどう言おうと、その現実が正しい、のです。
違いますか?
そうしてみると「私の言うことが正しい」と思っている人達って何なの? なのです。
それは現実より、自分の思う現実が正しいと思う人達なのです。
しかも理由が、自分は偏差値が60だから、とか、イスラムではこうだから、とか、自分からこう見えたから、とか、なのです。
プロの審判でさえ誤審があるのに、その訓練をしてきた訳でも無いアマチュアが、スゴイ自信なのです。
婚活女性の「自分はずっとモテると思っていた」と同じ、なのです。
そう思ってると、現実は全く違っても、現実がそう見える、のです。
津波で言うと、近くまで来てても、来てないと思っている人には来てない、のです。
現実がそう見える、のです。
で、目の前の現実になってみて、自分の思い込みの方の現実が弾ける、のです。
これからのメタボの人達も、そういうこと、なのです。
貯金が少ない人達も、そういうこと、なのです。
先送りしてきた日本人に待つものは、その先送りしてきたもの、なのです。
そこで「神様!」とかスピリチュアル的に叫んでも…なのです。
この期に及んで、まだ自分の思い込みの方が正しいとするか、なのです。
で、理想は現実を見ることですが、それはデブに体重計に乗れ、ブサイクが出会い系をしろ、と言うのと同じで、
自分の思い込みが打ち砕かれて嫌でしょうから、
しょうがないので、自分の思い込みの方を変えること、なのです。
すると、その反映が現実なのですから、現実が変わる、のです。
こういうのを方便(説法)と言うのです。