100%全く違う話になってる | プラクティス

100%全く違う話になってる

100%全く違う話になってる



もともとは、この妖怪の女性が、人間になりたい話。


なのに、姿がコレ。



もう、このままで良いでしょう。



こういうのを原作改変、原作レイ⚪︎と言うのですが、話の根幹を変えてしまうのは酷すぎませんか。



これは、仏教やら、キリスト教にもあって、


教祖の居ないところで作られている


のです。


で、全く言ってないことや、正反対のことまで書かれていて、しかも、それを読者は有り難く読んでいる、のです。



原作ファンからすると「何だコレ」なのです。




その名だけ使って、全く違うことを言う、


アダルトビデオのパロディ作品みたいになっている、のです。



で、企業も、そうして創業の理念が消え去った「名だけ」同じで、全く違うものになって、終わる、のです。


映画やゲームで言うと「素材はそのまま」「良く」してくれれば、それで良い、のです。


それが嫌で「素材を変えたい」(我を出したい)ならオリジナルでやれ、なのです。



(昔の作品を今の技術でリニューアルは良い)



この見た目を現代人が見て不快にならないように忖度(マーケティング?)して、美少女にしてしまったら、それはもう全く違う話になって、それなら名や知名度を借りずにオリジナルで勝負しろって話。




なんか今や、虎の威を借りる狐、ばかりなのです。


映画、テレビ業界、ゲーム制作会社、みんなそう(腑抜けばかり)なのです。


さらに学歴エリートだからか、偉そう、なのです。


で、その名刺やら肩書きをとったら、何も出来ない、のです。


自分の身銭を切らず、他人のふんどしで、相撲をとって、自分は傷つかず、上前をはねている、のです。


なのに、彼らの発言や公のプレスリリースでは、


100%全く違う話になってる


のです。



生臭坊主が言うことが、立派な肩書きがあるし、金持っているから、正しい、みたいなことなのです。