誰か良い人が居たら ではなく主体性の無さ | プラクティス

誰か良い人が居たら ではなく主体性の無さ

誰か良い人が居たら ではなく主体性の無さ


独身女性はよく「誰か良い人が居たら(付き合う)」みたいに思っています。


が、それは、この左が「誰か良い人が居たら(付き合う)」と思うのと同じ、です。



なんか「何様?」と思いませんか。


おそらく当人には、そういう傲慢な気持ちは無いと思っているのでしょうが、客観的に見れば「何様?」なのです。



たとえるなら、何処か良い大学があったら(ノー勉強のこのままの自分で)入っても良い、みたいな話なのです。


何と言うか、自分にはその資格がある、みたいな話なのです。


無いのに。




これで言うと、左が「誰か良い人が居たら(付き合う)」と言う感じで、


左に、そんな機会も、資格も、選べる権利も、無い、のです。



そう言うのは、


誰か良い人が居たら ではなく


自分が良い人になったら


なのです。



のび太くんが、出来杉くんになったらしずかちゃんと付き合えるのであって、


のび太が、しずかちゃんに会ったら付き合えるでは、全然無い、のです。


もちろん、しずかちゃんの方からアプローチなんて絶対に無い、のです。



何で、


誰か良い人が居たら(付き合える前提)


なんだよ、なのです。


その前に、自分が良い人にならなければ駄目で、


自分が良い人になるのは、恋人が居る居ない、に関係ない、のです。


で、自分が良い人になれば、周りが放っておかない、のです。



周りの女性は、出来杉くんを放っておかないし、のび太くんは死ぬまで放置なのです。


周りの男性は、しずかちゃんを放っておかないし、ジャイ子は死ぬまで放置なのです。


つまり、


誰か良い人が居たら


は、周りの問題みたいになっていますが、そうではなく、自分がのび太、ジャイ子になっている問題なのです。


特に、女性は、自分がしずかちゃんから、ジャイ子になっているのに気がついてない人が、山ほど居る、のです。



左 しずかちゃん 右 ジャイ子


で、自分は左だと思っている右が、


誰か良い人が居たら


じゃーない、のです。


異性や出会いの問題ではなく、自分の問題、なのです。


言い換えると、


主体性の無さ


なのです。


そんなことより生活習慣病、糖尿病ヤバいよ、なのです。


あなたは自業自得の病気持ちの異性を相手にする? なのです。



20代前半まではモテてたって、


それ、


20代前半までは健康だった、と同じ、なのです。


で、今は違うんだから、やることあるよね?


なのです。


それをせず、


誰か良い人が居たら


じゃーない、のです。


誰か良い人が居たら問題じゃない、のです。


この左が、誰か良い人が居たら問題じゃない、のです。




自分の問題という自分が無いのです。


じゃー誰の問題かって、当人の問題に決まっている、のです。