童貞に勇気を貰えるか | プラクティス

童貞に勇気を貰えるか

童貞に勇気を貰えるか



なんか最近、誰かに勇気を与えるためとか言ってYouTubeなどに出ている人が多いのですが、


たとえば、その人が童貞だとして、この人に勇気を貰えるでしょうか。


劣等感にしても、障害にしても、YouTubeなら金、そうでなきゃ自己正当化、自己肯定化じゃないですか?


たとえばパラリンピックにしても、無放送で、その辺でやれば良い、のです。


YouTubeで言うと、多くは自分の収益のため、なのです。



たとえば、この女性が口では「懸垂出来ない人のため」とか言ったとしても、120%収益のためであり、それがなかったらやらない、のです。


で、別にこれを見た男性も、懸垂なんかやりゃしない、のです。


パラリンピック見た人だって、別に運動しない、のです。


もちろん、オリンピックだってそうです。


ただ見て興奮した、以上終わり、なのです。


別に勇気は貰ってない、のです。


童貞に勇気を貰えるか


で言うと、別に貰えない、のです。


力が男性より劣る女性が、男性並に懸垂したとて、男性も、女性も、やらない、のです。


たとえば、ブサイクが美男美女と付き合ったとしても、「それは特別」とか思うだけなのです。


「よし自分も」なんて、なってない、のです。



アニメで言うと、どんな感動的な素晴らしい物語を見て勇気を貰った? とて、なーんにも変わらない、のです。


童貞のヤンキーと処女のレディースがセックスして、その快感で「何か出来そうな気がした」と同じ、なのです。


気がしただけ、なのです。


と言うか、そもそも関係ない事柄を脳内で無理矢理結びつけているだけ、なのです。


子供がユーチューバになりたいのは、動画出演、動画撮影、動画編集をしたいのではなく、何か漠然と楽そうに金が入るから、なのです。


女性がお姫様になりたいと言うのと変わらないのです。


学力、教養、言葉遣い、礼儀、作法、その全てが足りない、のです。




で、そんな女性や子供も、そういうことを言っているのではなく、ただ楽に金が欲しい、金を使いたい、そのための手段に、ユーチューバ、姫が良い、みたいなどうしようもない発想なのです。



で、そもそもの話をすると、勇気は他人から貰えるものではない、のです。



バンジージャンプで言うと、いくら周りがこんな風に飛んだって、だから自分が飛べるようになる訳じゃない、のです。



むしろ、ほとんどの人は、他人から後ろから押された方が時間の短縮になる、のです。


つまり、必要なのは、精神的な勇気ではなくて、物理的な実力行使なのです。


やるしかない状況に追い込まれたら、やるしかない(勇気が出る)のです。


バンジージャンプをしている人を見て、自分も勇気が出て飛んでみる、なんてことは起きない、のです。


YouTubeなら、動画にいいねして、それっぽい感動コメントを書いて、終わり、なのです。


それでは勇気を何も貰ってないのです。



で、昨今の動画は、昔の収益が発生しない頃の動画と違って、あからさまに承認とか、褒められたいとか、金なのです。


たとえば一時期、キャンプの動画が流行りましたが、すぐ廃れたのがその証拠で、儲かるからやった、儲からなくなったからやめた、ただそれだけ、なのです。


本当にキャンプが好きな人は、再生数が回らなくても日々、動画を投稿している、のです。


つまり「キャンプは最高」「オススメ」とか言ってたのはグッズを売るとか、アクセス数を稼ぐとかの嘘だったのです。


で、勇気与える系も、お涙頂戴系も、24時間テレビぐらい、嘘なのです。



別に日本人は、勇気を欲していない、のです。


それが欲しいのは、実は、そう言ってる本人だったりする、のです。



6歳の女子がコレをやっても、日本の上から下までの男性は怯えてやらないって話。


日本では、勇気がどうのこうの、という話題にならないように回避する、のです。

(自分が勇気無しという話にはしない、のです)


なもんだから、告白(付き合う)とかもなくなって、日本人は、勇気を欲していない、のです。


友達のままなら良好な関係で居られるのですから、わざわざそれを壊さない、のです。


会社も全く同じで、今のままなら良好な関係で居られるのですから、わざわざそれを壊さない、のです。


で、組織は腐って崩壊していく、のです。


高いところにあって取れない葡萄は酸っぱいから良いものではない(それを取るのに危険なことをする必要はない)


ということにする、のです。


で、男女も、会社も、駄目になっている、のです。

(もしそれが不労で手に入るとなったら欲しい欲しい言う餓鬼なのです)