無責任な褒め合い
無責任な褒め合い
2010年頃からSNS の普及により「いいね👍」が一般的に使われるようになりました。
しかし、その「いいね👍」は、グッドなのかベターなのかベストなのか、はたまた悪く無いなのか、あるいはただ「見たよ」なのか、さっぱり解りません。
しかし、世の中を観察してみると、「いいね👍」を受け取る側はベストとして受け取っているのです。
するとそこで成長は止まり、停滞してしまうのです。
そして、これを日本中でやっているのが現代なのです。
たとえば、この左にいくら「いいね👍」をしたところで、右にはならない、のです。
日本の生産性がずっと上がらないのも、日本の男女が劣化しているのも、そういうことなのです。
「いいね👍」とかされたら、より頑張るのではなく(褒めて伸びるではなく)、良いんだ(ベストだ)と思って、そこに安住している、のです。
無責任な褒め合い、馴れ合い、腐れ合い、になっているのです。
これが嘘か真か、思い込みではなく本当に良くなっているか(良いか)で、解る、のです。
たとえば、こんな人も「いいね👍」と言い合っている、のです。
一体、何が良いのか、と言う話ですし、それに「いいね👍」した人達も、(たとえばそれで離婚や糖尿病になっても)それに責任を持つ訳でも無い、のです。
そして、「いいね👍」された方は、それで良いと思って、それから全然良くならない、のです。
偏差値49♂や体重70キロ♀で言うと、それで「いいね👍」されたんだから、それで良い(ベスト)と言う話になっていて、それから全然良くならない、のです。
離婚率や未婚率、倒産率が右肩上がりなのも、そういうことなのです。
ニートも、頭の中、お花畑女子も、小さい頃にそれで良い(ベスト)と言われた、と言うことになっていて、全然、成長が見られない、のです。
で、試しに、SNS 世代の昨今の若者の脳の中を見てみても、そういうこと、なのです。
いいねされなきゃされないで拗ねるし、いいねされたらされたで図に乗るし、子供なのです。
どちらにせよ、全然、良くなってない(良くない)のです。


