Do you wanna change ?
ある幼稚園児のズボンのチャックが開いていたとします。
それを親や先生が注意すると、さっと直して、すぐ遊びを再開します。
小学生でも、笑い話で済むでしょう。
中学生でも、チャックが開いているよと言われて、怒る人はそうは居ません。
しかし、大人だと、怒る人が出てきます。
恥ずかしいからとか、みっともないからとか理由は様々ですが、要は、自意識過剰なのです。
シルバーシートの席を譲られて、怒る人まで出てくる始末です。
おそらく、ありもしない周りの視線を気にしているのです。
しかし、大変、幸運なことに、あるいは、大変、残念なことに、誰もその人のことなんて気にもとめていないのです。
なのに、ありもしない周りの視線を気にして怒るから、周りの視線を集めて、結果、印象に残るのです。
たとえば、大事な会議で、ズボンのチャックが開いていたとしましょう。
大事な会議だから間違ったことをすると笑われると思っている人は、ズボンのチャックが開いていた時に、本当に、そうなるのです。
そうなると言うか、本当に、そうなるようにしているのです。
ちゃんと、顔が赤くなって、脈拍が上がって、頭が真っ白になって、しどろもどろになって、間違ったことをすると笑われるように、自分で、自分をもっていくのです。
先のシルバーシートの例で言えば、年寄りだと周りから見られるのを気にするから、席を譲られた時に、怒って、そうすることで、年寄りだと周りから見られることを実現するのです。
ズボンのチャックは一例で、大勢の前で話すと緊張するとか、ITの勉強をするのは苦手とか、そういうことでも一緒です。
そういう自分の思いが世界になります。
なぜなら、自分で、自分をそういう風にするからです。
自分は不器用と言う人は、ちゃんとそれを証明するために必要なことをわざわざするのです。
大げさに言えば、みんな自爆テロをして、それを性格だと、勘違いしているのです。
なぜなら、これらは無意識で、こういう風に言語化されないと、当の本人も気が付かないことだからです。
たとえば、異性と話せないと思っている人が居たとしましょう。
これは、性格でしょうか。
当人は、そういう性格だと言うかもしれません。でも、違うでしょう。
なぜなら、母親や父親、先生とは話しているからです。
現実を冷静に見れば、自分がそういう風に思い込んでいるから、自分でそうなるようにしているだけ、なのです。
で、異性と話せない人が、異性と話せるようになったら、世界が変わるでしょう。
この世が輝いて見えるかもしれません。
しかし、世界はそうなる前から輝いているのです。
逆に、自分と言う我が、目をくすませて、周りを見えなくしていただけ、なのです。
だって、そうでしょう。
話した異性のAさんは、話せるようになる前と、話せるようになった後でも、同じAさんなのですから。
変わったのは、自分の世の中を見る目なのです。
世の中が変わった訳じゃありません。
サングラスで世の中を見てたら、くすんでいたけど、サングラスをとったら世の中は、輝いて見えた。
それを生まれ変わったと表現しているだけ、なのです。
そして、そうやってくすませていったのは、他でもない「自分自身の余計な思い込み」なのです。
子供の頃には見えていた輝く世界を、わざわざ、暗くどんよりとした景色に見えるようにしているのは、自分自身なのです。
わざわざサングラスをかけることで、この世をつまらなく、ストレスフルに見えるようにしているのです。
我が強い人は周りが見えなくなり、自分の思い込みのサングラスから見える世界を自分の世界と認識してしまうのです。
で、怖ろしいことに、そういう自爆テロな夢でも、夢は夢ですから、夢は実現するのです。
しかしそれは、自分にとっても、社会にとっても、たいへん迷惑な行為なのです。
SHININ' MY WAY
壊してしまおう
心を邪魔するものは


・自爆テロをしないために
『トゥルーマン・ショー』
トゥルーマン・ショー

¥1,543
Amazon.co.jp
世の中の仕組みと、心と体がコミカルに描かれています。
このブログの読者さんが、自分は自分というドームから出たと言っていますが、それがどういうことか、この映画を観ることで疑似体験できます。
学生は必見。世の中を読み解きたい人も必見。
閉塞感から抜け出したくない人は、見ない方が良いでしょう。
・教室を超えた実践スクール
疑似体験はしても、それは知っているだけです。
知っていると、出来るの間には、広くて深い溝があります。
飛び越えるためには、「出来ないことをする」がベストですが、
一人では心もとない、最初は誰かの助けが欲しいと言う人のために、
この夏は「カナヅチ克服 スイミングスクール」を開催しています。

最初は、ぜんぜん泳げなかった人も、25m。
泳げる人は、バタフライも泳げるようになったり、終いには、飛び込み台から飛び込めるようになっています。
これは、「カナヅチ克服 スイミングスクール」を開催して、たかだか3か月間の出来事です。
人は、出来ないことに挑戦していけば、変われるのです。
自信もつきます。
それが、仕事にも、勉強にも、好循環をもたらすのです。
この夏、自分を超えましょう。先に参加している女性たちは、既に3回くらい脱皮しています。
次は、あなたの番です。



それを親や先生が注意すると、さっと直して、すぐ遊びを再開します。
小学生でも、笑い話で済むでしょう。
中学生でも、チャックが開いているよと言われて、怒る人はそうは居ません。
しかし、大人だと、怒る人が出てきます。
恥ずかしいからとか、みっともないからとか理由は様々ですが、要は、自意識過剰なのです。
シルバーシートの席を譲られて、怒る人まで出てくる始末です。
おそらく、ありもしない周りの視線を気にしているのです。
しかし、大変、幸運なことに、あるいは、大変、残念なことに、誰もその人のことなんて気にもとめていないのです。
なのに、ありもしない周りの視線を気にして怒るから、周りの視線を集めて、結果、印象に残るのです。
たとえば、大事な会議で、ズボンのチャックが開いていたとしましょう。
大事な会議だから間違ったことをすると笑われると思っている人は、ズボンのチャックが開いていた時に、本当に、そうなるのです。
そうなると言うか、本当に、そうなるようにしているのです。
ちゃんと、顔が赤くなって、脈拍が上がって、頭が真っ白になって、しどろもどろになって、間違ったことをすると笑われるように、自分で、自分をもっていくのです。
先のシルバーシートの例で言えば、年寄りだと周りから見られるのを気にするから、席を譲られた時に、怒って、そうすることで、年寄りだと周りから見られることを実現するのです。
ズボンのチャックは一例で、大勢の前で話すと緊張するとか、ITの勉強をするのは苦手とか、そういうことでも一緒です。
そういう自分の思いが世界になります。
なぜなら、自分で、自分をそういう風にするからです。
自分は不器用と言う人は、ちゃんとそれを証明するために必要なことをわざわざするのです。
大げさに言えば、みんな自爆テロをして、それを性格だと、勘違いしているのです。
なぜなら、これらは無意識で、こういう風に言語化されないと、当の本人も気が付かないことだからです。
たとえば、異性と話せないと思っている人が居たとしましょう。
これは、性格でしょうか。
当人は、そういう性格だと言うかもしれません。でも、違うでしょう。
なぜなら、母親や父親、先生とは話しているからです。
現実を冷静に見れば、自分がそういう風に思い込んでいるから、自分でそうなるようにしているだけ、なのです。
で、異性と話せない人が、異性と話せるようになったら、世界が変わるでしょう。
この世が輝いて見えるかもしれません。
しかし、世界はそうなる前から輝いているのです。
逆に、自分と言う我が、目をくすませて、周りを見えなくしていただけ、なのです。
だって、そうでしょう。
話した異性のAさんは、話せるようになる前と、話せるようになった後でも、同じAさんなのですから。
変わったのは、自分の世の中を見る目なのです。
世の中が変わった訳じゃありません。
サングラスで世の中を見てたら、くすんでいたけど、サングラスをとったら世の中は、輝いて見えた。
それを生まれ変わったと表現しているだけ、なのです。
そして、そうやってくすませていったのは、他でもない「自分自身の余計な思い込み」なのです。
子供の頃には見えていた輝く世界を、わざわざ、暗くどんよりとした景色に見えるようにしているのは、自分自身なのです。
わざわざサングラスをかけることで、この世をつまらなく、ストレスフルに見えるようにしているのです。
我が強い人は周りが見えなくなり、自分の思い込みのサングラスから見える世界を自分の世界と認識してしまうのです。
で、怖ろしいことに、そういう自爆テロな夢でも、夢は夢ですから、夢は実現するのです。
しかしそれは、自分にとっても、社会にとっても、たいへん迷惑な行為なのです。
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このブログの読者さんが、自分は自分というドームから出たと言っていますが、それがどういうことか、この映画を観ることで疑似体験できます。
学生は必見。世の中を読み解きたい人も必見。
閉塞感から抜け出したくない人は、見ない方が良いでしょう。
・教室を超えた実践スクール
疑似体験はしても、それは知っているだけです。
知っていると、出来るの間には、広くて深い溝があります。
飛び越えるためには、「出来ないことをする」がベストですが、
一人では心もとない、最初は誰かの助けが欲しいと言う人のために、
この夏は「カナヅチ克服 スイミングスクール」を開催しています。

最初は、ぜんぜん泳げなかった人も、25m。
泳げる人は、バタフライも泳げるようになったり、終いには、飛び込み台から飛び込めるようになっています。
これは、「カナヅチ克服 スイミングスクール」を開催して、たかだか3か月間の出来事です。
人は、出来ないことに挑戦していけば、変われるのです。
自信もつきます。
それが、仕事にも、勉強にも、好循環をもたらすのです。
この夏、自分を超えましょう。先に参加している女性たちは、既に3回くらい脱皮しています。
次は、あなたの番です。


