金切り声で泣く子供 | プラクティス

金切り声で泣く子供

冷めた体ロックで解凍できるかな」のつづき。

金切り声で泣く子供が、増えています。

保育園でも、おかしな親、おかしな子が増えています。


何故でしょうか。


その原因は、そこかしこで見ることが出来ます。

親が、スマホに夢中なのです。

そして、赤ちゃんが構ってもらえず泣く。それも普通に泣いたんじゃ気づいてもらえないので、金切り声で泣く。

こういう感じなのです。

酷いのになると、そういう子にいらだちを覚える親までいます。


何故かと言うと、スマホが良いところだったから、みたいな理由なのです。


これって、フィクションじゃありません。

ノンフィクションです。

そして、その親にとってはフィクションが、ノンフィクションより大事なのです。

言葉では綺麗ごとを言います。でも、態度でそう示しているのです。


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自分は子供がいないから大丈夫。

自分の子供は手が離れたから大丈夫。

中にはこういう人が居るかもしれません。

でも、ここで言いたいのはそういう場当たり的な話ではありません。

もっと本質的な話です。


我々にとって大事なのは、ノンフィクションです。

リアルの方が大事なハズです。

それが、いつの間にかフィクションの方を優先させてしまうのは、怖ろしいことではないか、と言いたいのです。


現実にあった話で、子供のインターネットを止めた身内が刺されるという事件がありました。

この子供にとっては、ノンフィクションより、フィクションの方が何十倍も重要だったのです。

で、ノンフィクションをボロボロにしてしまいました。


もちろん、これは極端なケースです。

でも、程度の差はあれど、こういう人が増えてはいないでしょうか。

ゲームを中断されてキレるとか、何かを観ていたのに中断されてキレるとか、多くの人が当たり前のようにキレていますが、冷静に考えればキレる方がおかしいのです。

何故なら、フィクションの良いところより、ノンフィクションの方が大事だからです。

この優先順位がひっくり返ってしまうって、おかしいのです。


それって、あなたが映画を見ている時に、「火事だー!」と叫ぶ人がいた時に、「うるせえな」とキレるようなものです。


でも、この類が本当に多いのです。

たとえば、「火事だー!」が、「就職難」という言葉になるだけで、うるせえな扱いなのです。

そのうるさい理由が、いま良いところだから、みたいな話なのです。

赤ちゃんの泣き声でも、それは一緒です。


火事なら消さなきゃで、就職難なら勉強しなきゃで、赤ちゃんならよしよしなハズです。

これが正しい行動です。

それが、「火事? うるさいなぁ」とかって、おかしいのです。


そういう人は、「後で」とか言うのですが、後でじゃ間に合わないから、言われているのです。

むしろ、「いま良いところだから」という方が後で出来ることなのです。

何故なら、リアルではなくて、フィクションだから、です。

スマホだったら、後で読めば良いだけだからです。ゲームでも後でも出来るでしょう。


でも、ノンフィクションは、後で取り返しがつかないのです。


赤ちゃんの泣き声を放っておいて、しばらくして、見に行ったら死んでいた。

こうなってから、このブログで言っていたことが解りました、とかなっても遅いのです。

ネットに夢中で受験に失敗したとか、失職してから自分には何の資格もないことに気が付いたとかなっても、後の祭りです。


後の祭りになった時に、一体、何が「後で」だったのか、ということです。

料理の最中にスマホが鳴って、それに夢中になってたら、家が火事になった。

こういう例が、例ではなく本当にそこかしこで発生しているのです。

ただ、多くの人にとっては、こういう風に物理的に燃えるのではなく、燃え方が精神的な燃え方で、受験の失敗とか、離婚とか、失業とかいうかたちになっているだけなのです。


昨年は、「いつやるの? 今でしょ」という言葉がコミカルな言葉として流行りました。

これが流行ってしまうということは、いかに後回しにする人が多いか、ということです。

そして、その後回しは、ノンフィクションの後回しなのです。

で、みんなフィクションに夢中なのです。

自分を笑わせてくれたり、感動させてくれたり、面白がらせてくれるものを画面の中に探すのです。

そして、ノンフィクションが置き去りになっていく。


赤ちゃんの泣き声は、「現実を生きて」というSOSのサインに聞こえてなりません。


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