自分のためって誰のため? | プラクティス

自分のためって誰のため?

本堂


夢の世界は、現状の外にあります。

その世界には、現在の自分ではたどり着けません。


なので、現在の自分の考え、判断、意見、感想などは、どーでも良いのです。


どうも、これを忘れてしまう人が多い。


たとえば、あなたが受験生で、偏差値が40だとしましょう。

その際に、大学合格に必要なのは、夢の世界(大学生活)というゴールと、そこへ向かって進んで行くこと(勉強すること)、この2つです。

あとのことは、どーでも良いのです。


自分は勉強が苦手だとか、出来る訳ないとか、出来ないと思うとか、落ちそうで不安とか、そういうのは、どーでも良いを通り越して、ゴールの達成にとって障害になりますから、むしろ有害になります。


で、今の自分でも受かりそうなところへ、ゴールを下げて、安心? しようとするのです。


本当は、夢の世界(大学生活)に行きたかったけど、専門学校で良いか、みたいなことをしだすのです。


これは、他人の足を引っ張るように、自分の足を引っ張って引きずりおろしたのと一緒なのですが、当人に、その自覚はありません。

これの不味いところは、この思考が染みついてしまうと、自分の足はおろか、他人の足を引っ張るのも「快感」になっていってしまうのです。


具体的に言うと、こういう人が就職した場合、会社が何か新しいことをしようとすると、「今までこれでうまくいっているのに何で変える必要があるんだ」みたいなことを平気で言うようになります。

そして、こういう人達が多勢に無勢になると、会社は潰れるのです。

会社が潰れると、こういう人達は嘆くだけ嘆くのですが、その原因を作ったのは自分自身であることは、認めようとしません。

要は、お客より、自分が可愛いのです。


お客のために、変えるよりも、自分の為に変えないを選ぶのです。


それは、IT技術の習得だったり、ライティング技術の向上だったり、営業プロセスの改善だったりする訳で、これらはお客の利便性を高める効果があるのにもかかわらず、お客のために、変えるよりも、自分の為に変えないを選ぶ傾向にあります。


これは、客観的に観ると、自分の足はおろか、お客(他人)の足を引っ張るのが「快感」になっている、ということです。


そうして客足が少なくなると、こういう人達は不運を嘆き、そうなってさえ、その原因を作ったのは自分自身であることは、認めようとしません。

ましてや、変えようとしません。


お客のために、変えるよりも、自分の為に変えないを選ぶのです。


ですが、ここで我に返ってみてください。

自分の為に変えないの、自分の為って、いったい何なのでしょう。

自分の為に変えないと、自分が損して、自分が辛い思いをする訳です。そのために変えないって、いったい何が自分のためなんでしょう。


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* この記事を印刷して、見えるところに張って、何度も何度も、自分に問いかけてみてください。
2週間くらい真摯に向き合えば、ある日、突然、自転車に乗れた時のように、「あっ、こういうことか!」と、全てが理解できる日が来るでしょう。