辛いところからが頑張り
頑張るとは、辛いところから先に進むことを言います。
なので、辛いところから先へ進まない場合は、頑張るという言葉は相応しくありません。
マラソンなら、息苦しくてもう走れないというところから、頑張りです。
腕立て伏せなら、もう腕が動かないというところから、頑張りです。
安易に、頑張るという言葉を使うと、頑張っている気になりがちなので、危険です。
なぜ危険なのかと言うと、「こんな頑張ってるのに…」となりがちだからです。
あなたがもし、腕立てを5回できるようになったら、その5回はもう頑張りではないのです。
社会人経験の長い人や、若者は、上を目指さなくなっていますが、上を目指さないのなら、頑張りは成り立たないのです。
なぜなら、頑張りは、辛いところから先に進むことだからです。
ただやること、だらだら長時間やることが、頑張りではないのです。
よく不思議ちゃんが、顔が晴れると書いて、顔晴りとか言いますが、それならそれで辛いところから先に進むことをすれば良いのですが、そういう人ほど避ける傾向にあります。
精神論は良いから、具体的に数字で表してもらうとすると、出てこないのです。
たとえば、5キロ走ったとか、問題集1冊を解いたとか、そういう努力の跡が見られないことを頑張りとは言わないでしょう。
勉強しない学生が「今日も顔晴って生きました感謝」とか言ってたら、あなたが親だって心配になるハズです。
単なる言葉遊びに終始して、それで頑張っている気になっているのです。
やってないのに、やっている気になっている。
頑張ってないのに、頑張っている気になっている。
繰り返しますが、頑張るとは辛いところから先に進むことです。
腕立てを10回しているから頑張っている、ではなくて、辛いけど10回を11回にすることが、頑張っているです。
商売なら、お客さんの来店人数を10人から11人にすることが、頑張りで、日々のルーティンワークをただこなすのは、作業です。頑張りではありません。
このようにしてみると、日本人の多くが「頑張ってない」のに、「頑張っている」と思い込んで、その思い込みが、うつ病の増加に繋がっているとも言えます。
やってないのに、やっている気になっているのです。
女性が、痩せなくて思い悩むように、男性が、客が来なくて思い悩んでいるのです。
このどちらも、必要なことをやってないのに、やっている気になっているのが原因です。
やっている(気になっている)のに、どうしてならないんだろうと思っているのです。
行動しない自分を棚の上に置いて、思い悩むことだけすると、本当に病気になるのです。
たとえば、偏差値が上がらないと悩む人は、やってないことがほとんどです。
やってないのに、悩むことだけは大いにやるのです。
ためしに、「何をどれくらいやっているの?」と聞くと、言葉を濁して逃げてしまいます。
でも、当人は、それで行けると思い込んでいるのです。
で、行けなくて、また、思い悩むのです。
こうして、年をとると病んだ大人の出来上がりです。
借金や、奨学金の返済等をしてない大人は、こんな感じが多いです。
これなんかも、「頑張っている」という思い込みが原因です。
「頑張っている」を「顔晴っている」にしたって、現実はまったく一緒です。
ひと月に1キロずつ痩せて行けば、1年で12キロです。
たとえば、ひと月分を20で割ると、1日に50gです。
1日に50g痩せれば、土日は現状維持でも、1年で12キロも痩せられるのです。
これで、「え~! それならやる~!」と言う人でないと、ダイエットに決定的に向いていません。
1日に50gでもワクワクしない人は、「1日に50gかぁ、頑張らなきゃ」と言うストレスで太るから、です。
こういう頑張りでは無い頑張っている感が、病む原因なのは、先に述べた通りです。
この類の精神構造は、DVや虐待、ストーカーなどと、よく似ています。
DVで暴力を振るうのは、愛してないのに、こんなに愛している、ですし、
虐待で暴力を振るうのは、愛してないのに、こんなに愛している、ですし、
ストーカーするのは、愛してないのに、こんなに愛している、です。
ダイエットも、商売も、行動せず、こんなに思っているのにって感じです。
こういうのはお酒と一緒で、最初は意識があるのです。
でも、自分の中で何度も、繰り返しているうちに、自分はやっている気になってしまうのです。
これが、怖い。
既に意識を失っている大人が、少なくありません。
そして当人にその自覚はないのです。
だから、何でもかんでも、周りのせい、人のせい、社会のせい、旦那のせい、妻のせい、同僚のせい、政治家のせい、という風になるのです。
周りと、体力(体重)は、関係ありません。
周りと、学力も、関係ありません。
寒かろうが何だろうが、やる人はやりますし、やらない人は暖かくてもやらないでしょう。
先生がどうあろうが、勉強する人はしますし、やらない人はやらないでしょう。
周りが良くなっても、やらない人は、やらないのです。
だったら、周りが良かろうが、悪かろうが、関係ないでしょう。
周りに文句を言うのは、お門違いの八つ当たりです。
そんなことしても、自分が良くなることはありません。
周りに構っている暇が有ったら、自分を良くしましょう。
自分を良くするとは、辛いところから一歩、前に進むこと、です。
既に解いたことのある問題集を、毎日、毎日、やることではありません。
まだ解いたことのない問題を一問でも良いから、解くことです。
この一歩、一歩が、自分を良くすること、自分の成長への道となります。


なので、辛いところから先へ進まない場合は、頑張るという言葉は相応しくありません。
マラソンなら、息苦しくてもう走れないというところから、頑張りです。
腕立て伏せなら、もう腕が動かないというところから、頑張りです。
安易に、頑張るという言葉を使うと、頑張っている気になりがちなので、危険です。
なぜ危険なのかと言うと、「こんな頑張ってるのに…」となりがちだからです。
あなたがもし、腕立てを5回できるようになったら、その5回はもう頑張りではないのです。
社会人経験の長い人や、若者は、上を目指さなくなっていますが、上を目指さないのなら、頑張りは成り立たないのです。
なぜなら、頑張りは、辛いところから先に進むことだからです。
ただやること、だらだら長時間やることが、頑張りではないのです。
よく不思議ちゃんが、顔が晴れると書いて、顔晴りとか言いますが、それならそれで辛いところから先に進むことをすれば良いのですが、そういう人ほど避ける傾向にあります。
精神論は良いから、具体的に数字で表してもらうとすると、出てこないのです。
たとえば、5キロ走ったとか、問題集1冊を解いたとか、そういう努力の跡が見られないことを頑張りとは言わないでしょう。
勉強しない学生が「今日も顔晴って生きました感謝」とか言ってたら、あなたが親だって心配になるハズです。
単なる言葉遊びに終始して、それで頑張っている気になっているのです。
やってないのに、やっている気になっている。
頑張ってないのに、頑張っている気になっている。
繰り返しますが、頑張るとは辛いところから先に進むことです。
腕立てを10回しているから頑張っている、ではなくて、辛いけど10回を11回にすることが、頑張っているです。
商売なら、お客さんの来店人数を10人から11人にすることが、頑張りで、日々のルーティンワークをただこなすのは、作業です。頑張りではありません。
このようにしてみると、日本人の多くが「頑張ってない」のに、「頑張っている」と思い込んで、その思い込みが、うつ病の増加に繋がっているとも言えます。
やってないのに、やっている気になっているのです。
女性が、痩せなくて思い悩むように、男性が、客が来なくて思い悩んでいるのです。
このどちらも、必要なことをやってないのに、やっている気になっているのが原因です。
やっている(気になっている)のに、どうしてならないんだろうと思っているのです。
行動しない自分を棚の上に置いて、思い悩むことだけすると、本当に病気になるのです。
たとえば、偏差値が上がらないと悩む人は、やってないことがほとんどです。
やってないのに、悩むことだけは大いにやるのです。
ためしに、「何をどれくらいやっているの?」と聞くと、言葉を濁して逃げてしまいます。
でも、当人は、それで行けると思い込んでいるのです。
で、行けなくて、また、思い悩むのです。
こうして、年をとると病んだ大人の出来上がりです。
借金や、奨学金の返済等をしてない大人は、こんな感じが多いです。
これなんかも、「頑張っている」という思い込みが原因です。
「頑張っている」を「顔晴っている」にしたって、現実はまったく一緒です。
ひと月に1キロずつ痩せて行けば、1年で12キロです。
たとえば、ひと月分を20で割ると、1日に50gです。
1日に50g痩せれば、土日は現状維持でも、1年で12キロも痩せられるのです。
これで、「え~! それならやる~!」と言う人でないと、ダイエットに決定的に向いていません。
1日に50gでもワクワクしない人は、「1日に50gかぁ、頑張らなきゃ」と言うストレスで太るから、です。
こういう頑張りでは無い頑張っている感が、病む原因なのは、先に述べた通りです。
この類の精神構造は、DVや虐待、ストーカーなどと、よく似ています。
DVで暴力を振るうのは、愛してないのに、こんなに愛している、ですし、
虐待で暴力を振るうのは、愛してないのに、こんなに愛している、ですし、
ストーカーするのは、愛してないのに、こんなに愛している、です。
ダイエットも、商売も、行動せず、こんなに思っているのにって感じです。
こういうのはお酒と一緒で、最初は意識があるのです。
でも、自分の中で何度も、繰り返しているうちに、自分はやっている気になってしまうのです。
これが、怖い。
既に意識を失っている大人が、少なくありません。
そして当人にその自覚はないのです。
だから、何でもかんでも、周りのせい、人のせい、社会のせい、旦那のせい、妻のせい、同僚のせい、政治家のせい、という風になるのです。
周りと、体力(体重)は、関係ありません。
周りと、学力も、関係ありません。
寒かろうが何だろうが、やる人はやりますし、やらない人は暖かくてもやらないでしょう。
先生がどうあろうが、勉強する人はしますし、やらない人はやらないでしょう。
周りが良くなっても、やらない人は、やらないのです。
だったら、周りが良かろうが、悪かろうが、関係ないでしょう。
周りに文句を言うのは、お門違いの八つ当たりです。
そんなことしても、自分が良くなることはありません。
周りに構っている暇が有ったら、自分を良くしましょう。
自分を良くするとは、辛いところから一歩、前に進むこと、です。
既に解いたことのある問題集を、毎日、毎日、やることではありません。
まだ解いたことのない問題を一問でも良いから、解くことです。
この一歩、一歩が、自分を良くすること、自分の成長への道となります。

